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 ゴッホ(有名な画家)の絵は、かれが生きているあいだは一般いっぱん大衆たいしゅうにはもちろん、セザンヌ(有名な画家)のような同時代の大天才にさえ、こんな腐っくさ たようなきたない絵はやりきれないとソッポをむかれました。当時はじっさい美しくなかったのです。それが今日はだれにでも絢爛けんらんたる傑作けっさくと思われます。けっしてゴッホの作品自体が変貌へんぼうしたわけではありません。むしろ色は日がたつにつれてかえってくすみ、あせているでしょう。だがそれが美しくなったのです。社会の現実げんじつとして。こんなことはけっしてゴッホのばあいにかぎりません。受けとる側によって作品の存在そんざいの根底から問題がくつがえされてしまう。
 こうなると作品が傑作けっさくだとか、駄作ださくだとかいっても、そのようにするのは作家自身ではなく、味わうほうの側だということがいえるのではありませんか。そうすると鑑賞かんしょう――味わうということは、じつは価値かち創造そうぞうすることそのものだとも考えるべきです。もとになるものはだれかが創っつく たとしても、味わうことによって創造そうぞうに参加するのです。だから、かならずしも自分で筆を握りにぎ 絵の具をぬったり、粘土ねんどをいじったり、あるいは原稿げんこう用紙に字を書きなぐったりしなくても、なまなましく創造そうぞうの喜びというものはあるわけです。
 わたしの言いたいのは、ただ趣味しゅみ的に受動的に、芸術げいじゅつ愛好家になるのではなく、もっと積極的に、自信をもって創るつく という感動、それをたしかめること。作品なんて結果にすぎないのですから、かならずしも作品をのこさなければ創造そうぞうしなかった、なんて考える必要もありません。創るつく というのを、絵だとか音楽だとかいうカテゴリーにはめこみ、わたしは詩だ、音楽だ、踊りおど だ、というふうにわくに入れて考えてしまうのもまちがいです。それは、やはり職能しょくのう的な芸術げいじゅつのせまさにとらわれた古い考え方であって、そんなものにこだわり、自分を限定げんていして、かえってむずかしくしてしまうのはつまりません。
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 それに、また、絵を描きえが ながら、じつは音楽をやっているのかもしれない。音楽を聞きながら、じつはあなたは絵筆こそとっていないけれども、絵画的イメージを心に描いえが ているのかもしれない。つまり、そういう絶対ぜったい的な創造そうぞう意志いし、感動が問題です。
 さらに、自分の生活のうえで、その生きがいをどのようにあふれさせるか、自分の充実じゅうじつした生命、エネルギーをどうやって表現ひょうげんしていくか。たとえ、定着された形、色、音にならなくても、心の中ですでに創作そうさくが行なわれ、創るつく よろこびに生命がいきいきと輝いかがや てくれば、どんなにすばらしいでしょう。
 だから、創らつく れた作品にふれて、自分自身の精神せいしん無限むげんのひろがりと豊かゆた ないろどりをもたせることは、りっぱな創造そうぞうです。
 つまり、自分自身の、人間形成、精神せいしん確立かくりつです。自分自身をつくっているのです。すぐれた作品に身もたましいもぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間しゅんかんから、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生きがいとなり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった姿すがたを発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を創造そうぞうしているのです。

岡本おかもと太郎たろう『今日の芸術げいじゅつ』より)
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