1商品化された「いれもの」を買うときのわれわれは、ときとして、そのなかにはいるものを買うときよりも慎重である。 たとえば、小麦粉だの砂糖だのは、日常の必需品であって、べつに銘柄を指定することもないが、それらの食品をいれるキャニスターを買うときには、あちこちの店を歩きまわって、よいデザインの品物をさがす。2値段が多少高くても、うつくしいものを手にいれようと一生けんめいになる。
タンスなどもそうだ。値段と実用性からいえば、デパートの特価品売場にたくさんタンスがならんでいるから、そのなかからえらべばそれでよいのだが、ながく使う家具、と思うと、なかなか実用一点ばりで気軽に買う気にはなれない。3使われている材料だのデザインだのを吟味して、いいタンスをさがしまわる。
つまり、「いれもの」は、たんなる「ものいれ」ではないのである。「いれもの」はそれじたいの価値をもつのである。まえにあげた女性のハンドバッグなどもその一例だ。4実用的機能からいえば、財布だの化粧品だのといった小物がそのなかにはいればそれでよいので、極端にいえば、丈夫な紙袋だって間にあう。しかし、そうはゆかない。ハンドバッグは、「ものいれ」なのではなく、それじしん、うつくしい「もの」でなければならないのである。5だから、ハンドバッグその他の袋ものに、高いおカネを払う。
そればかりではない。「いれもの」がうつくしい「もの」であることによって、そのなかにはいるものの価値もすっかりかわってしまうからふしぎである。そのことが如実にわかるのは食器という名の「いれもの」だ。
6たとえば、ここに、一丁のなんの変哲もない豆腐がある。これを湯豆腐にして食べよう、と思う。そして、湯豆腐をつくるための「いれもの」は、いろいろある。
もしも、安上りにやろうと思ったら、雑貨店に行って、小さなアルミのナベを買ってきたらよい。7このナベの底に昆布を敷き、豆腐を入れて火にかければ、やがて湯豆腐はできあがる。味もそうわるくはない。学生街の食堂などで湯豆腐といえば、だいたい、こ
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