a 長文 2.3週 ne2
 人間には、他人と違っちが ていることを非常ひじょうにいやがる気持ちと、他人とどこかちがっていないと満足出来ない気持ちとがからみ合っているようであります。かなり小さい時でも、ほかの子供こどもとちがった身なりをしていることはいやなことでありまして、たとえ自分がほかの子供こどもよりも上等な服を着ていましても、それを一刻いっこくも早く脱ぎぬ たいことを大概たいがいの人が何かの折りに経験けいけんしていると思います。そうかと思いますと、一様の制服せいふくを着せられている女学生などが、殆どほとん 目につかないところに一本ひだを入れるとか、むねを少しばかり広くあけるとかして、みんなと違っちが たところを創り出そつく だ うとしていることが見受けられます。世の中の服装ふくそうの流行は、目まぐるしく変りますが、学生の制服せいふくでも細かい流行があります。どんどん新しい流行が生まれるのは、他人と同じではいやだというところと、それに遅れおく て自分だけが流行おくれのなりをしては大変だということが微妙びみょうにからんでいるようであります。服装ふくそうなどの流行は、大部分表面的なもので次々と移り変っうつ かわ て行きますけれども、わたし先程さきほど真似まねをするといいと申しましたのは、もう少し深い意味を含めふく ていたつもりなのです。つまり真似まねをして、どうしても真似まねられないところに突きあたっつ    た時に自分自身の創造そうぞうする力、創り出すつく だ 力、それを発見することを含めふく ていたのです。自分には独創どくそうせいというものがないのではないか、最初はだれもがそう思うのですけれども、何か一つの活動を真剣しんけんになってやっていれば、必ず自分の独特どくとくの力量というものが発見されるはずです。それですから真似まねをすることは一つの手段しゅだんであります。手段しゅだんといいますよりは、わたしどもを動かすいわば原動力であります。したがって、うまく真似るまね ことが出来たと思ってそこで満足をしてそれで終わってしまっては何にもなりません。
 そこでわたし真似まねの仕方に上手下手があると思います。ひょっこり大金が手に入ったような時に、ある人は、それまで漠然とばくぜん 夢みゆめ ていたハイカラな生活をしてやろうとして、何でもかまわずお金持
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ちの持っているものを買い集め、舶来はくらいのもの、高いものを求めます。そしてよく話にあるとおり、洋服箪笥たんす長椅子ながいすが家の中に入らなかったり、大騒ぎおおさわ をしてそれでゆめがさめるのです。真似るまね ためにはもっと慎重しんちょう態度たいどが要るのでして、真似まねをしてもそれを自分なりに充分じゅうぶんこなせることを順に選んで、そして心身ともに楽しい、進歩の感じられるような生活に切りかえて行くのが上手な真似まねの仕方だと思います。これは個人こじんの場合でもはっきりしていますが、少し気をつけて考えてみますと、社会生活の上にも、考えなしに外国の生活の真似まねをしてしまって、そしてそれが真似まねに終わって、ちぐはぐな、ぎこちない、具合の悪いものがいっこうに改良されずに残っているものがずいぶんわたしたちの周囲にはあります。明治のころのあの文明開化で、無反省に取り入れてしまったのは、ズボンをはいて座布団ざぶとん座らすわ なければならない生活にも残っていますし、また、戦争後、文化国家ということになった日本が外国から仕入れた多くの電気器具やその他の立派りっぱな道具などで、冬の停電の時に何ともいえず味気ない姿すがたをさらしているものもあるわけであります。あれほど多くの人が尊んたっと でいる独創どくそうせいが生まれてこないのは、一つは真似まねの仕方が下手だということにもあるようです。

串田くしだ孫一の文章による)
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