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 甘いあま おしるこを食べているとだんだんあまさを感じなくなります。これは、味覚が疲労ひろうして甘みあま の感度が落ちたからだとも考えられます。途中とちゅうに塩味の強い漬物つけものを食べるのは、味の対比たいひを作って、甘味あまみの感覚をさい覚醒かくせいさせるためです。
 トイレの臭いにお は好ましいものではありません。しかし、しばらくすると、何も感じなくなって、平気で入っていられるようになります。嗅覚きゅうかく非常ひじょう疲労ひろうが速いので、トイレに入っても臭いにお を気にせず、新聞を読んでいられるのです。人間は一分間に二〇回も呼吸こきゅうしているので、呼吸こきゅうのたびごとにくさい臭いにお をかいでいたのではたまりません。感覚器はむしろ自らの疲労ひろうによって、のう疲労ひろう防いふせ でいるのです。このことから考えてみると感覚が疲労ひろうしはじめているのに無理に同じ仕事を続けることは、あまりよいことだとは言えません。(中略ちゅうりゃく
 毎日同じ仕事を長く続けていると、それほど苦労しないのに職場しょくばでの仕事が楽になり、上手になってきます。このような人は熟練工じゅくれんこうと言われ、大切にされます。人間国宝こくほうと言われる人も、その道の熟練工じゅくれんこうとして、くり返しによって身についた能力のうりょくが土台になっているのでしょう。
 同じ仕事を繰り返しく かえ ていると、「もう分かっている」とか「またか」という状況じょうきょうになるので、努力しないでも習慣しゅうかん的に行動ができるようになります。これが馴れな 現象げんしょうであり、頭を使わなくてもすむので、頭を経済けいざい的に働かせることができ、のう余裕よゆうが生まれるのです。のうを休ませることによって、いざというときにはいつでも仕事ができるように、待機しているのです。
 さまざまな刺激しげきにいちいち真正直に反応はんのうしていたのでは、のう忙しいそが すぎて疲れつか てしまいます。例えば、まじめな部下が細かいことまでいちいち報告ほうこくしてきたら、上司はそのために疲れつか て、適切てきせつ判断はんだんを下すことも困難こんなんになってしまいます。そこで感覚器の方も「またあの人がきたか、どうせ同じことを言うだけだ」と門前払いもんぜんばら 
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をしようとします。はじめのうちはちょっと呼んよ でもすぐ返事をしていましたが、またかと感ずると返事もしなくなります。返事をしてもらうためには、もっと大きな声で呼ばよ なければなりません。すでに分かっている場合には、のう負担ふたんをかけないために、むしろ常套じょうとう的な行動をとってしまうのです。こうした感覚感度をみるのに閾値いきちという言葉が使われます。いきちとは、越すこ 越さこ ないかの境目さかいめあたいのことで、この越しこ てきたものが反応はんのう値するあたい  刺激しげきの強さとなるのです。
 「馴れな 」ている事柄ことがらに対してはだれもあまり気を使いません。これも神経しんけいけい疲労ひろう防ぐふせ 方法なのです。馴れな ていることはあえて努力しなくてもなしとげられるものなのです。
 四季の変わり目には敏感びんかんだが、やがて真夏の暑さと、真冬の寒さに耐えた られるようになることを、気候順化と言います。同じことが身体にも起こります。四季の変化に対してもはじめのうちは敏感びんかんですが、徐々にじょじょ 感覚が鈍くにぶ なるのは、刺激しげきに対する閾値いきちが上がったことを意味しています。
 はじめて腕時計うでどけいをはめたり入れ歯を入れたときは気になるものですが、やがて何も感じなくなります。これは触覚しょっかく馴れな であり、やはり感覚疲労ひろう効用こうようと言えましょう。

渡辺わたなべ俊男としお『人はどうして疲れるつか  のか』より)
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