1意志は、具体的には、我慢をすることから強くなるのではないかと思います。大きなことを我慢するということは、なかなかできませんが、小さな我慢ならば、わりとたやすくできるでしょう。
2昔の人は、たとえば、武者修行、滝に打たれるということをしました。あれは一つの大きな我慢だったと思います。私たちは、そんなことは、とても続かないと思います。
3小さな我慢をし続けることによって、だんだんと大きな我慢ができるようになります。
そして、それによって、私たちは、意志が強められると思うのです。4小さな我慢ができないものが、大きな我慢ができるはずがないのです。
人間の人間らしさといいましたが、たとえば、わかっているけれどもできない、悪いことだと知っていてもやってしまう、ということについては、こういう言い方ができるでしょう。
5「私たちが、やりたいと思うこと、善(いいこと)はできない。そして、やりたくないと思う悪はしてしまう」
この、人間としての嘆きは、私たちすべての人の心からの叫び、嘆きなのです。
6また、私たちが、後悔する、しまったなと思うということは、自由意志がある証拠だと思います。
私たち人間は、自動販売機のようなものではないのです。7百円を入れたら、ポンとジュースが出てくるというようなものではないのです。やってもいいし、やらなくてもいい。でも、悔む、後悔する――ということがあるのはなぜでしょうか。8私たちに自由意志があるからなのです。私たちの行ないが不可抗力的なことであるなら、私たちは、後悔し、悩むということはないと思います。
9たとえば、スイッチを入れれば電灯はつくのです。「ついてみたくない感じ」そんなものはないのです。スイッチを入れればつくのです。その電灯は後悔もしないでしょう。善もしないでしょう
|