a 長文 7.2週 ni2
 意志いしは、具体的には、我慢がまんをすることから強くなるのではないかと思います。大きなことを我慢がまんするということは、なかなかできませんが、小さな我慢がまんならば、わりとたやすくできるでしょう。
 昔の人は、たとえば、武者むしゃ修行しゅぎょうたきに打たれるということをしました。あれは一つの大きな我慢がまんだったと思います。わたしたちは、そんなことは、とても続かないと思います。
 小さな我慢がまんをし続けることによって、だんだんと大きな我慢がまんができるようになります。
 そして、それによって、わたしたちは、意志いしが強められると思うのです。小さな我慢がまんができないものが、大きな我慢がまんができるはずがないのです。
 人間の人間らしさといいましたが、たとえば、わかっているけれどもできない、悪いことだと知っていてもやってしまう、ということについては、こういう言い方ができるでしょう。
 わたしたちが、やりたいと思うこと、ぜん(いいこと)はできない。そして、やりたくないと思う悪はしてしまう」
 この、人間としての嘆きなげ は、わたしたちすべての人の心からの叫びさけ 嘆きなげ なのです。
 また、わたしたちが、後悔こうかいする、しまったなと思うということは、自由意志いしがある証拠しょうこだと思います。
 わたしたち人間は、自動販売はんばい機のようなものではないのです。百円を入れたら、ポンとジュースが出てくるというようなものではないのです。やってもいいし、やらなくてもいい。でも、む、後悔こうかいする――ということがあるのはなぜでしょうか。わたしたちに自由意志いしがあるからなのです。わたしたちの行ないが不可抗力ふかこうりょく的なことであるなら、わたしたちは、後悔こうかいし、悩むなや ということはないと思います。
 たとえば、スイッチを入れれば電灯はつくのです。「ついてみたくない感じ」そんなものはないのです。スイッチを入れればつくのです。その電灯は後悔こうかいもしないでしょう。ぜんもしないでしょう
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が、悪も行ないません。
 わたしたち人間は、すばらしい自由意志いしを持っていますが、それはある意味で大変恐ろしいおそ   ことです。それはぜんをしないで、悪を行ってしまう可能かのうせい常につね あるからです。
 わたしたちが一日の終わりに、あれはしまった、とか、いやだったな、とか、思うことの多くは、やることができたのに、やれなかった、言わないでもすんだのに一言多すぎた、あるいは、言わなくてもいいことを言ってしまった、ということです。不可抗力ふかこうりょくではなく、わたしたちにはできたのです。しかし、やらなかった、ということなのです。
 『わたしたちは、「それは不可能ふかのうだ」とか、「できない」とか、「そんなことは無理です」というようなことを、よく言うが、その原因げんいんは何か。それはそのことを心の底から望まないからだ』
――これは、ある人の有名な言葉です。
 確かたし に、わたしたちは心の底から石にかじりついてもやりたいと思うことがあります。逆にぎゃく どんなことがあっても、これはやらない、とほんとうに心の底から望んだ時には、やってはいけないことは、やらないですむ、と思うのです。問題は、心の底から望んでいるかどうかでしょう。ほんとうに心の豊かゆた な、良い人になりたいと望んでいる人、すなわち、強い意志いしを持っている人は、それができると思います。

浜尾はまお 実の文による)
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