a 長文 7.4週 ni2
 アメリカ人が日本にやって来ると、日本人のあいさつはうるさくて仕方ない、と思うようだ。例えば思いがけないところで知っている人とバッタリ会う。「どちらにお出かけですか」と尋ねるたず  。アメリカ人はうるさいと思う。「どこに行こうとおれの勝手だ。おれ秘密ひみつ探ろさぐ うとしているのだろうか」。日本人は何もそういうつもりではない。「こんなところでお目にかかるとは思いがけないことだ。あなたの身の上に何か大変なことがおこったのではないだろうか。もしそうだったら、一緒いっしょに心配してあげましょう」とこういう気持ちで聞くわけである。
 「先日は失礼しました」。これもよくわたしたちが口にするあいさつである。アメリカ人はびっくりする。確かたし に先日この男に会った。しかしそのときにこの男はおれに何にも悪いことはしていない。するとこの男は、おれの知らない間にとんだことをしてくれたのではないか」と心配になるという。日本人の気持ちはそうではない。「先日あなたにお目にかかった。わたしとしては失礼なことをした覚えはないけど、わたしは不注意な人間である。もしかしたら失礼なことをしたかもしれない。もしそうだったらおわびする」。こういうことを言っている。そういう言葉でも分かるように、わたしたちは謝るあやま ことが非常ひじょうに好きである。感謝かんしゃすることよりも、謝るあやま ことを尊ぶたっと 
 みなさんがバスに乗っている。おばあさんが乗ってきた。だれかが席をゆずる。おばあさんは何というか。「ありがとうございます」とお礼を言う人もいるが、「すみませんねえ」と謝るあやま 人の方が多いだろう。おばあさんの気持ちはこうである。わたしがもし乗ってこなければ、(あなたは座っすわ ていられた。わたしが乗ってきたばかりにあなたは立たなくてはならない。)すみません」とこういう論理ろんりで、日本人は謝るあやま ことを非常ひじょうに喜ぶ。
 アメリカで暮らしく  ていた次男の話だが、次男の家にいるお手伝
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いさんが台所で働いていて、手からコップが滑り落ちすべ お 割れわ てしまった。日本人ならこういうとき「わたしがコップを割りわ ました」と言う。でもアメリカの人はけっしてこういうことは言わないそうだ。「グラスが割れわ たよ」と言ってきた。「お前が割っわ たんじゃないか、なぜ自分が割っわ たと言わないのか」と言ったら、ビックリしていたという。英語で「わたしがコップを割っわ た」というとどういう意味になるか。かべか何かにコップをわざとぶつけて割っわ た、という意味になってしまうようだ。コップがあやまって手から滑っすべ 割れわ たときはコップが割れわ たんであって、わたし割っわ たんじゃない、と頑張るがんば そうだ。理屈りくつを言えば確かたし にそうである。なぜ日本人は、手から滑り落ちすべ お たコップに対して「わたし割っわ た」と言うか。これは日本人の責任せきにん感だと思う。つまり日本人はこう考えるのである。自分の手からコップが滑り落ちすべ お 割れわ たのは、自分が油断ゆだんしていたからだ。自分がしっかりしていたならばこのコップは割れわ なかった。自分がうっかりしていたからコップが割れわ た。このことの責任せきにんは自分にある。だから「コップを割りわ ました」という言い方になるのである。こういう考え方は日本人の美徳びとくであるとわたしは考える。

(金田一春彦はるひこ『ホンモノの日本語を話していますか?』(角川oneテーマ二十一)による)
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