1そこには、人と犬とが関係を結ぶようになった大昔の情景が綿々と生きている。犬は人間にはない能力、つまり暗闇でも目がきき、その鋭敏な嗅覚と聴覚で危険が迫っていることをいち早く察知できたことから、夜、人間が寝静まったあとの警戒の役目をしたり、狩猟のなかで人間の役に立ってきた。2犬が自分たちの生活の役に立つことを知った人間は、食べ物を与え、かわいがって育て、犬たちも人に従順さをもって応えてきたのである。
それにひきくらべて、いまの日本の犬たちは何を求められているのだろうか。3もちろん、盲導犬や麻薬探知犬などの社会に有用な犬もいるし、狩猟犬や番犬などもいるだろう。だが、概して人間に役に立つ犬の仕事は少なくなっている。その結果、犬と人間の関係も変質してきてしまっている。4現在のハンターと狩猟犬の関係は、昔の猟師であるマタギと犬の関係とはまったくちがう。マタギは自分の犬を捨てたりしないが、ハンティングをする人のなかには、狩猟シーズンの終わりに使い捨てにする人がままいるのだ。
5結局、大多数の人は愛玩の対象として犬を飼っているのだろうが、そうだとしたら、人の愛玩に応えることだけが、その役目となったいまの犬たちは、はたして幸せなのだろうか。
6私には、この関係はどうも人→犬の一方通行という気がしてならない。それに、愛玩というのはえてして、対象が変わりやすいし、飽きがくることもあるし、自分の都合で一方的にやめてしまうこともある。7これが毎年、おびただしい数の捨て犬が生まれる一因といったらいいすぎだろうか。ほんとうに自分の生活に必要だったら、犬を捨てることは、自分の手足をもぐのと同じことである。8犬が人間の役に立ちたいと思っている動物だとしたら、いまの人との暮らしのなかにその対象がないことは、ある意味で悲しいことではないだろうか。
ほんとうに人の役に立っている犬たちは、どれも生き生きしてい
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