a 長文 9.3週 ni2
 君たちの中には、あまり学校が好きではない人もいるかも知れない。
「あーあ、学校なんてきらいだなあ。いやな科目はあるし、試験はあるし、もっと自由に好きなことをして暮らしく  たいな。」
「こんなふうに思っている人が、あんがい多いのではないか? なるほど、もっともな面もあると思う。たしかに、人間の社会にはいろいろと思いどおりにならないことが多い。もうすこしお小遣いこづか が多かったら、もうすこし遊ぶ時間が多かったら、と思うのは君たちだけではない。わたしだってそうだ。人間の社会にはがまんしなければならないことが多すぎる。
 だがこの考えは、すこしばかり身勝手な考えだ。生活していくうえで、がまんしていかなければならないのは、なにも人間社会だけに限っかぎ たことではない。
 生物として、この世に命をもって生まれてきたものはすべて、それぞれの生物社会の一員に組み込まく こ れる。そして、この世で生きていくためには、すべてある程度  ていどのがまんをしていかなければならない。そのことは密林みつりんに住む野獣やじゅうであろうと、人間社会の権力けんりょく者であろうと同じことだ。
 いや人間なら、いやになれば逃げ出すに だ ことも、やめることもできる。だが、植物などは生まれた場所が気に入らないからといって、そこから逃げ出すに だ ことは絶対ぜったいにできない。がまんして生きていくか死んでしまうか、二つに一つなのだ。その意味では、植物の世界こそもっともがまんを重ねなければならないところだ。
 とくに森林のように、すでに一つの社会が成り立っている場所に生育する若いわか 植物は、ひたすらがまんすることが生活になる。シイやカシの森の中に、ヤツデやアオキのように生活能力のうりょくや生活形態けいたいがちがうものが生育した場合は、現実げんじつにはそれほどはげしい争いは起きず、かえって生活の場をすみ分けて共存きょうぞんすることがお互い たが のためになる。だが、たとえばシイやカシの高木林の中に、クス、イチイガシやシラカシのように、シイやカシよりさらに高木になるような植物が生育した場合は、高木そうのすぐ下の亜高木あこうぼくそうまで生育して、先輩せんぱいの高木が枯れか て自分たちの時代がくるまで、
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じっと待ちつづける。
「石の上にも三年」ということわざがあるように人間の社会なら、せいぜい三年も待てば、たいてい事情じじょうが変わって先が開けてくる。ところが植物の世界では、数十年、いや時には数百年ものあいだがまんしつづけるのだ。数多くの植物は、がまんしきれずに枯れか ていき、がまんにがまんを重ねた少数の植物だけが、じゅうぶんに生活力をたくわえ、先輩せんぱい老衰ろうすいしたり、虫や風やカビなどの被害ひがいを受けて倒れたお たりしたすきにすばやく大きくなって、つぎの時代のチャンピオンになることができるのだ。
 わたしたちの実験でも、あきらかに競争、共存きょうぞん忍耐にんたいという、植物、いや生物社会の厳しいきび  ありさまは観察できた。わずか一メートル平方の狭苦しいせまくる  世界にも、お互い たが にいがみ合いながらも共存きょうぞんし、狭いせま 場所をすみ分けている典型的な生物社会が示さしめ れていたのである。
 わたしたち人間社会に身を置く者も、生物社会の一員としての大きな視野しやから、多様な環境かんきょう制約せいやくとそこに生きるものどうしの関係から生ずる社会的制約せいやくをどう人間の発展はってんに結びつけていったらよいか、みんなで考えてみようではないか。植物社会の教訓を単なる現象げんしょうとして見すごすか、人間社会の未来のために生かせるか、英知をもつ人間の真価しんかを問われる分岐ぶんき点である。
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