1君たちの中には、あまり学校が好きではない人もいるかも知れない。
「あーあ、学校なんてきらいだなあ。いやな科目はあるし、試験はあるし、もっと自由に好きなことをして暮らしたいな。」
2「こんなふうに思っている人が、あんがい多いのではないか? なるほど、もっともな面もあると思う。たしかに、人間の社会にはいろいろと思いどおりにならないことが多い。もうすこしお小遣いが多かったら、もうすこし遊ぶ時間が多かったら、と思うのは君たちだけではない。3私だってそうだ。人間の社会にはがまんしなければならないことが多すぎる。
だがこの考えは、すこしばかり身勝手な考えだ。生活していくうえで、がまんしていかなければならないのは、なにも人間社会だけに限ったことではない。
4生物として、この世に命をもって生まれてきたものはすべて、それぞれの生物社会の一員に組み込まれる。そして、この世で生きていくためには、すべてある程度のがまんをしていかなければならない。5そのことは密林に住む野獣であろうと、人間社会の権力者であろうと同じことだ。
いや人間なら、いやになれば逃げ出すことも、やめることもできる。だが、植物などは生まれた場所が気に入らないからといって、そこから逃げ出すことは絶対にできない。6がまんして生きていくか死んでしまうか、二つに一つなのだ。その意味では、植物の世界こそもっともがまんを重ねなければならないところだ。
7とくに森林のように、すでに一つの社会が成り立っている場所に生育する若い植物は、ひたすらがまんすることが生活になる。8シイやカシの森の中に、ヤツデやアオキのように生活能力や生活形態がちがうものが生育した場合は、現実にはそれほどはげしい争いは起きず、かえって生活の場をすみ分けて共存することがお互いのためになる。9だが、たとえばシイやカシの高木林の中に、クス、イチイガシやシラカシのように、シイやカシよりさらに高木になるような植物が生育した場合は、高木層のすぐ下の亜高木層まで生育して、先輩の高木が枯れて自分たちの時代がくるまで、
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