1ロボットは人間かと問うのは、ロボットにも心とか意識といったものがあるかと問うことである。うまそうに食事をしているロボットは、本当に空腹を感じ、食欲をもち、そして味わっているのだろうか、あるいは単にすべてただ「振りをしている」だけなのだろうか。2歯医者の椅子の上でうめき声をあげているロボットは本当に痛がっているのだろうか。ただ痛そうな振りをしているだけではないのか。
だがこの問いに答える方法があるだろうか。ロボットに「本当に痛いのか」と尋ねればもちろんのこと、「間抜けたことを言うな、痛いったら痛いんだ」と答えるだろう3(そしてその夜、日記に、差別待遇をうけて心が痛んだ、と記すかもしれない)。嘘発見器につないでも人間の場合とは違う反応であろうがともかく嘘をついているときのロボットとは違う正常な反応を示すだろう。4切開をすれば人間の神経繊維と比べれば不細工な金属線があり、それにパルス電流が流れているのが検出されよう。そして、学のあるロボットならば、それがロボットの痛覚神経なのだと言うだろう。結局のところ決め手はないのである。5それは現在の科学や技術の段階では決め手はない、というのではなく未来永劫ないのである。痛いとかうまいということは細胞の興奮とか神経伝導などとは全く別種のことだからである。だからそれを生理学的なあるいは工学的な検査法で検出しようというのが土台そもそも的外れなのである。(中略)
6私の知っている痛みはただ私自身が感じるものとしてのものである。それを他人に移植する、つまり他人がそれを感じると想像することは実は不可能なのではないか。実数の間の大小を複素数の間に移植したり、将棋の王手や成り駒を碁に移植することが不可能なように。7私は他人が私の経験に似た経験をしていると想像しているつもりでも実は想像しているのはその他人になり変わった私自身なのではあるまいか。そして想像の中であっても私は終始私であって彼ではない。私に想像可能なのは、彼の立場にある私の痛みであって彼の痛みではない。(中略)
8人が激痛でうずくまり冷や汗を流している。だが正直なところ私自身は少しも痛くない。痛くもかゆくもない。だが私は心痛す
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