1コンピュータにかぎらず、複雑なハイテク機器を自由に使いこなすということは容易なことではない。しかしだからといって、そういう機器を使いこなせる人は、「機械につよい人」だけだとして、「ふつうの人」や「機械によわい人」は「使えなくて当たりまえ」と考えたり、2「使えないのは本人が不器用だからだ」とか「頭が悪いからだ」としてあきらめていたのでは、世の中はちっともよくならないだろう。いつまでも、わけのわからない、使い勝手の悪い製品が市場にあふれ、ごく一部の人たちだけが技術の成果を享受しているにとどまってしまう。
3ここはやはり発想を変えて、「使いにくい、わかりにくいのは機械が悪い」と、堂々と言える文化を創り出す必要がある。(中略)
本来は、ほんとうのシロウトこそが「王様」なのだ。そういうフツウの人が「使いにくい機械」は、まさに「機械がわるい」のであり、そういう機械を平気で世に出すメーカーが悪いのだ。4しかも、宣伝では「誰でもすぐ使える」だの、「何にも知らんけど、やってみよう」などと言い、コンピュータとはおよそ縁のなさそうな芸能タレントが得意げにコンピュータを操作しているテレビコマーシャルを流しているが、5いざ買ってみたものの、どうしていいかわからず、途方にくれる消費者が続出しているという事態は、放っておいていいことではない。
今日のコンピュータを中心としたテクノロジーの横暴さを人間の立場から批判し、方向付けを示すということは、実はユーザー(つまり一般市民)の責任なのである。6「テクノロジーは本来人間のためであり、使いやすく、わかりやすいものであるべきだ」ということ、「間違えたり、勘違いしたりすることは、機械のほうを改善すべきことなのだ」ということを、きちんと自覚して、メーカーにうったえ、子どもたちにもはっきり教えておくべきである。
7このためになによりもまずテクノロジーの産物としての道具は、すべて人間にとって使いやすく、親しみやすく、身体に「馴染みやすい」ものであるべきだという考えをはっきり表明し、しっかりほりさげておくべきであろう。8このような考え方は、一般的にはユーザー中心主義とよばれている。
さて、ここで手始めに、ユーザーの側から道具に対する注文をつけてみよう。
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