1商社マンがカリフォルニアに出張すると、帰りぎわにカリフォルニア米の大袋を何個ももって帰ってくる。なんとなく外米はまずいという印象を日本人はもっているが、実際には舌の肥えた商社マンたちが、わざわざもって帰るほどおいしくて、しかもその値段が日本の四分の一である。
2ところで、牛肉、オレンジの次は米を買ってくれとアメリカが要求してくるというと、日本人は「まさか、冗談でしょう」と、おどろくばかりだ。その「まさか」の根拠には、まず日本人にとって米がどういうものであるかを、当然アメリカ側がよく理解してくれているにちがいない、という大前提の存在がある。3つまり、日本人にとって、米は死活にかかわる問題である。米は日本人の生命線である。しかも、米に対して日本人は単なる穀物として以上の特別にセンチメンタルな気持ちを抱いている、というようなことを、アメリカ側は少なくとも一応のところは承知しているはずだと勝手に思い込んでいるわけだ。
4しかし、たとえば、アーカンソーの農民にとっては、米はごくあたりまえの穀物の一種でしかない。大豆が儲かるのなら大豆を、小麦なら小麦を、そしてそれらとまったく同じ感覚で、儲かるなら米を作ろうとかれらは考える。5日本人と米とのつき合いにおいて、私たちが感情的になるほどの何かが存在するなどとはかれらには想像もできないのだ。
また、そのように、米といっても炭水化物のひとつではないか、米と麦とどうちがうのだという発想をもっているアメリカ人に対して、6一歩手前の段階に戻って実情はこうだと説明する努力を、私たちはほとんどといっていいほどしていない。
では、このような問題を内在させている米についてまったく別の発想を試みるとすれば、どんなことが考えられるだろうか。7現在、食管会計の赤字を黒字に転じる解決策はまずないといっていいだろう。国民の六パーセントを占める農民の生活を保証し、なおかつ食管会計を黒字にすることは、現在の方針をそのまま延長していくかぎり不可能である。
8ところで、かりに食管会計の赤字のおよそ二年分を投資すると、アーカンソーやカリフォルニアの豊かな穀倉地帯に、日本の全水田面積と同じだけの水田が買える。二年分の食管会計の赤字を投入して、二年にわたって土地を買うと、三年目には赤字がゼロにな
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