1経済のグローバリズムは何もこの20世紀の世紀末になっていきなり生じたものではない。確かに、戦後50年ほどの冷戦体制の中では、自由主義世界の世界経済の枠組は比較的安定していた。2少なくとも、ブレトンウッズ体制に支えられてきた70年代の前半までは、世界経済体制は、その内部に矛盾を含みながらも、比較的安定した制度的様式のもとに置かれており、それぞれの国家は、主として固有のケインズ主義政策、福祉政策、産業政策などを組み合わせてナショナル・エコノミーの安定と成長を達成してきた。3この戦後経済システムからすれば、90年代に入ってからの世界経済の動きは新たな段階に入ったかのように見える。だが、もう少し長い歴史的な展望のもとで見ればどうだろうか。むしろ、ナショナル・エコノミーの枠組が安定していた冷戦期の約50年の方が例外的だとさえ言えるのではなかろうか。
4実際、資本主義経済の歴史とは、ほとんどグローバリズムと国家との間の抗争と依存の歴史だと言ってもよい。国境を越えて利潤機会を求めて拡張しようとする「資本」の論理と、国民の生活の安定条件を保証するという国家の要請は根本的に対立する面をもっている。5この対立は常に正面切って争われたわけではない。だが、潜在的であれ存在するこの対立が、経済についての2つの見方を形作ってきたと言うことはできよう。一定の場所からは容易に動くことのできない人間の生活を軸にして経済を理解するという見方が一方にあり、6他方には、逆にグローバルな資本の動きから「国益」を見ようとする経済の見方がある。この2つの見方、あるいは2つのロジックが経済の歴史を貫いていると言ってもよい。
そして、おそらくいくつかの歴史状況の中で、この対立がきわめて鮮明に現れ出た時代というものをわれわれは見ることができる。7例えば、まだ西欧で近代資本主義が成立し、急速な展開を見せ始める頃、17、18世紀がその1つである。新大陸からの金銀の流入と対アジア、新大陸貿易の拡大という事態を背景に、オランダ、イギリス、フランスを中心に急速な商業の展開が見られたのであり、これはまぎれもなくグローバリズムと称してしかるべきものであった。8そして、このグローバリズムという現実に対して、重商主義と重農主義、さらには重商主義とアダム・スミスの経済学と
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