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 芸術というものは、ある時理論を学べば、あとは芸術家の個性に従って創作すればよいというものでもなければ、どだいそんなことはできないものだと思う。芸術家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっと根本的な体験をしており、そのあとで、いつか、ある芸術作品に触発しょくはつされて、芸術家のたましいを目覚まされ、そこで、それを手本にとり、理論を学びながら、最初の試みにとりかかるというものだと思う。そうして、かれの成長とか円熟とかいうものは、根本的な体験につながる表現にだんだん迫っせま てゆくという順序を踏むふ のではないか。この最初の手本が何であるかは、その芸術家の一生を支配する。日本の芸術家にとって、それがピカソかゴッホだったり、モーツァルトかヴァーグナーだったり、チェーホフかシェイクスピアだったりしたとしても、私に何も異議を訴えるうった  筋はない。ただ、そういう時、かれのもっと幼い根本的な体験と、西洋の大芸術との間の距離きょりはずいぶん広いはずだろうから、後年それを埋めるう  のは並大抵なみたいていのことではあるまいと、最近、気がついてきたのである。手本が低ければ良かったろうというのでもない。しかしべートーヴェンもシェイクスピアも、私たちのとはひどくちがった文明の体系から生まれ、それと複雑にからみあった芸術である。それは私たちにわからないといえないどころか、私たちに強烈きょうれつ訴えうった かけ、私たちを心の底から揺すぶりゆ   魅了みりょうしつくす力に満ちている。だが、わかるとか楽しめる、同感できるとかいうことと、創造の根源につながるということとは、微妙びみょうにからみあっているが、ちがう次元に属する。これを明らかにすることは、理論家にとっても研究家にとっても、そうして私たち芸術に関心のある文筆業者にとっても、いちばん大切な仕事に属するだろう。バッハ、モーツァルトとヴァーグナーをもつドイツ人音楽家、モンテヴェルディ民謡みんようをもつイタリア人、リュリとドビュッシーをもつフランス人、チャイコフスキーと若しかしたらその前にグリンカをもったロシア人音楽家たち、これは彼らかれ の幸福であり、時には不幸かも知れない。こういう人々がいたということが、のちにくる数世紀のそれぞれの国の芸術を決定づけるのだから。
 どういう文化も、そういうことからは逃れのが がたいのである。そうして、それは芸術家の創作ばかりでなく、街の人、市民の感受性の
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規制にまで及んおよ でゆく。ヨーロッパにゆくごとに思うのだが、南欧なんおうの人々はよく知らないから別としても、スカンディナヴィア、ドイツからオーストリア、スイス、オランダ、といった国々で、花瓶かびんに生けてある花の束をみれば、それがどれもこれも、根本的には、十六世紀ネーデルランド画派の天才ブリューゲル老のあの素晴らしい花の絵にそっくりの構成をもっている。ブリューゲルの花の絵は、後にくる絵画の流れに大きな影響えいきょう及ぼしおよ  、それに続く十七、八世紀の画家たち、たとえば、花瓶かびんに生けた花束の絵をやたらとたくさん描いえが たホイスムたちの原型となったといってもよいのだろうし、この種の絵は各都市の美術館にゆけばいっぱいある。そうして、現代のヨーロッパ人たちが、まるっきりこういう絵を見ないで育ったというのは考えられないことだ。ただ、彼らかれ が今花を生けるとしても、そういう絵を思い出してするかどうかは疑わしい。ところが、そうであるにせよ、そうでないにせよ、彼らかれ は花を生けるとなったら、この四百年前のブリューゲルから少なくとも二百年前まで連綿とつたわった絵画の伝統にみられる生け方をしてしまうのである。私は、こういった例を他にも数多くあげることができる。

吉田よしだ秀和ひでかず「ソロモンの歌」より)
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