1ある人物についての物語が、何よりも、当人自身を満足させるものでなければならない場合を考えよう。それは、当人が、不確実な未来や危機的状況を前にして、何らかの選択あるいは決断を下さねばならないような場合である。2このような場合、ひとは、そうした選択や決断が、果して自身の望むような帰結をもたらすのかを思案し、過去において自分が出合った相似た事例を探り、自身の能力や資質を確認しようとするであろう。3そして、そのことと重なり合う形で、そもそも、そのような選択や決断が自分にふさわしいものであるのかを確認しようとするのではないだろうか。
高校野球で活躍した生徒がプロ野球入りを勧められた場合を考えよう。4プロの世界での成功は必ずしも百パーセントの成功を保障されたものではない。当人は、こうした事態を前にして、まず自己の実力について過去の実績を勘案しながら、それと並行して、プロ野球の選手生活が、真に自分の願望するものであるかを確認しようとするであろう。5このとき、過去の自分にまつわる様々な出来事や思い出が、プロ生活に入る決断に向けて、まさしく自分自身で納得しうるような「筋」の中に位置づけられていくのである。この場合、「筋」は、既に成功している野球選手が語る物語を適宜借用するというわけにはいかない。6あくまで、本人自身にとって、プロ生活への決断が自然であるように思われるような「筋」でなければならない。すなわち、物語が語られることで、それは、おのずから決断の理由を構成する。その際、プロに入るという決断が、そうした物語を要請したといった言い方も可能であろう。7ということは、逆に、プロに入ることを断念する決断が下されたなら、また別様の物語が語られたであろうということを意味する。すなわち、「来歴」は固定したものではなく、一定の範囲で、現在の決断との関連で、様々に語られうる可能性を持つのである。
8かくして、ひとは如何なる決断を下すか考慮しつつ、自らの属性や過去の出来事を適宜選択し解釈したうえで、自らの物語の「筋」を求めるのであり、他方、様々にありうる「筋」を探索するなかで決断の内容が次第に形を整えていくのである。9その際、過去の様々な事実が、その時点で実際に感じられたり思考されたのとは異なった意味づけが下される場合もあるであろう。また、以前においてはさして意味を持っていないと思われたり、半ば忘却して
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