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 世間では、得意なものを伸ばすの  か苦手なものを直すかという問いが立てられることが多い。しかし、理想は、得意を伸ばすの  ことと苦手を直すことを両立させることだ。どちらか一方があれば、他方は自然に解消するというものではない。しかし、今日の社会では、この二つの選択肢せんたくしが、都合のよい形で使い分けられているところがある。例えば、苦手な勉強があった場合、「得意なものを伸ばしの  ていけばよい」という慰めなぐさ 方をされることがある。逆に、得意なものが見つからない場合、「それよりもまず苦手なものをなくして将来の準備をしておくことだ」というアドバイスをされることがある。つまり、現状を打破するためにではなく、現状を追認するために得意分野と苦手分野が使い分けられているところがあるのだ。
 その原因の一つは、早い時期から結果を求める今の社会の風潮にある。例えば、小中学校の基礎きそ教育の期間には、本来苦手分野はあってはならないものだ。できるだけ苦手をなくし、オールラウンドな能力を育てていくことが将来の土台になる。しかし、中学受験や高校受験があった場合、そこで問われるのは、受験する教科の出来不出来だけだ。とすれば、自然に、受験に出ない科目は苦手でも問題ないという発想になる。大学入試の場合も同じことが言える。これからの社会はどの分野でも高度な知識が要求される知識産業社会になる。高校も一種の義務教育の期間になりつつあるのが現状だ。ところが、高校の学習では、小中学校よりも更にさら 受験に影響えいきょうしない教科は苦手でもよいという発想が強くなる。
 もう一つの原因は、得意分野というオリジナリティを求めない社会の仕組みだ。大学教育は、高度な専門的知識を身につける場であるはずだ。しかし、実際には就職のための予備校か、あるいは就職の前の息抜きいきぬ の期間のように思われている面がある。それは、これまでの社会が、社会に出る若者に、独創性よりも、従順な歯車の一つになることを要求していたからだ。それは、戦後の日本が、戦災から復興し欧米おうべいに追い付くこととを大きな目標にしていたからだ。社会が一団となって共通の目標を目指すとき必要なのは、個性ではなく馬力だったのだと言える。
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 しかし、これからの日本の未来に待っているものは、海図のない広い世界だ。欧米おうべいが未来を指し示す羅針盤らしんばん独占どくせんしていた時代は既にすで 終わっている。一方、日本には江戸えど時代の歴史に見られるように、これまでの西洋世界にはなかった新しい社会のビジョンが豊富に眠っねむ ている。そう考えると、まず日本から新しい未来の社会を提案する時代がやってきていると言えないだろうか。そのときに大事なのは、個性に基づいた得意分野を持つ多くの人材だろう。そして、それがひとりよがりの個性でなく現実の社会に役立つ個性であるために必要なのは、幅広いはばひろ 基礎きそ教養を持ち、苦手分野や弱点を持たないバランスのとれた能力だ。得意を伸ばすの  ことと苦手を克服こくふくすることの両方が同時に求められているのである。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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