a 長文 7.3週 nngi
 すでにみたように、人間関係とは結局のところ二人の人間のあいだでの問題であるというよりは、むしろ、ひとりの人間の内部での「こちら側の自分」と「もうひとりの自分」との問題であった。このふたつが、相互そうご刺激しげきをあたえながら、つねにあたらしい自我をつくってゆく過程、それが人間関係のまさしく人間関係たるゆえんであった。ピストン運動の錆びつきさ   は、そう考えてくると、人間関係をむつかしくする最大の障害であるといってさしつかえない。極端きょくたん頑固がんこ、そしてその対極にある極端きょくたん浮遊ふゆう型人間、それはともに厳密な意味での自我喪失そうしつというべきなのだろう。
 錆びつきさ   が発生する、ということは、それぞれの人間にとって不幸なことだ。どちらの極に片よるにせよ、「ふたつの自分」のうちのひとつに心が膠着こうちゃくしてしまったが最後、その人間の心は進歩することがないのである。ひとりの人間の心の進歩というものは、結局のところ「ふたつの自分」のあいだの活発な会話からうまれる。その会話によって、自我がかわるからこそ、人間関係は人間にとって大事なのだ。
 自我のこの変化は、別の角度からみれば折衷せっちゅうのプロセスであるとも考えられる。そこにあるのは「こちら側の自分」と「もうひとりの自分」のうちのどちらをとり、どちらを捨てるかという二者択一にしゃたくいつなのではなく、「ふたつの自分」の歩みよりによる、折衷せっちゅうの立場の建設なのである。
 他人、あるいは自分のなかにとりこまれた他人としての「もうひとりの自分」と接触せっしょくすることで、「こちら側の自分」はすこしずつかわる。また同時に「もうひとりの自分」もかわる。かわったものが互いにたが  接近しあって統合される。それは折衷せっちゅうという以外のなにものでもない。折衷せっちゅうの積みかさねによって、人間はかわりつづける。人間関係というものは、その理想的なすがたからいえば、ひとりひとりの人間をかえるための方法、というべきなのである。
 人間関係を考えるにあたって、いちばん大事なのは、たぶんこの点だ。たしかに人間関係というのは、ふたり以上の人間がお互い たが に理解し、協力しあってゆくための方法であり、また技術でもある。だが、人間の側からみるときには、人間関係はあくまでも個人の成長のための跳躍ちょうやく台だ。人間関係というネットによってより充実じゅうじつした存在になってゆくのである。
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 事実、反省してみればすぐわかることだが、われわれひとりひとりの今日の存在は、これまでの人生のなかでのさまざまな人間関係の結果物としてとらえることができる。生まれたときから物心つくまでの母親と子どもの人間関係、学校にはいってからの教師と生徒の人間関係、友人との人間関係、そして結婚けっこん後の夫婦の人間関係、職場の人間関係、近隣きんりんの人間関係……かぞえあげていったらきりがない。そのきりのない人間関係のなかで、ひとりひとりの人間の精神がつくられてきた。まわりの人間との記号を媒介ばいかいとした交渉こうしょうなしに、ひとりの人間が形成されるというのはありえないことなのだ。そしてさまざまな人間関係を通じて、われわれはかわってゆく。
 人間の存在は、可塑かそ的なものだ。今日の自分はもはや昨日の自分ではない。すこしずつ、人間はかわる。厳密にいえば昨日の自分はすでに他人である。もちろん、どうでもいい、とにかくかわるのが望ましい、というわけではない。しかし、最近の医学の教えるところによれば、人間は、その脳のなかの二十億個の脳細胞さいぼうのほんの一部を使って生涯しょうがいをおえているのだそうだ。大部分は未使用なのである。人間の精神の可能性は、まだ、ほとんど未開発なのだ。その未開発な部分をひらく手がかりは、たぶん、生産的な人間関係、つまり効率のよいピストン運動であろう。
 世間には、ひとつの俗信ぞくしんがあって、創造的な人間活動と他人との人間関係とは対立するというふうに考える人が多い。しかし、それは、たぶん、あやまった考え方だ。他人(いうまでもなくそれは、自分のなかにとりこまれた「もうひとりの自分」をふくむ)とのかかわりなしに、人間の創造はありえない。人間関係なくして創造活動なし、なのである。ピストンの錆びつきさ   は、人物の可能性開発への障害物だ。人間関係が大事なのは、相手と仲よくするためではない。相手とうまくやってゆくという意味での人間関係なら、だれだってできる。ニコニコしていればよいのである。人間関係の本当の問題は、それが自分の可能性をどこまで跳躍ちょうやくさせてくれるかという問題だ。よく組まれた人間関係というものは、当事者同士のピストン運動を活発にし、相互そうごに可能性を開花させうるような関係のことなのだ。

加藤かとう秀俊ひでとし『人間関係』より。関西学院大)
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