1科学が人間にもたらすものには多かれ少なかれ必ず明暗両面が存在する。前世紀末のダイナマイトの発明者ノーベルの苦悩に象徴されるように、これは決して最近始まったことではない。2しかし、過去数十年の科学技術の進歩はあまりにも速く、人間と社会とに軋轢を生じてきている。不可能が可能になり、また、より多くのことが明らかになってきた一方で、ものごとの本質は単純ではなく、シロかクロかを言い切れないことも明らかになってきた。
3たとえば、科学の進歩により生と死との間のグレーゾーンが拡大した。凍結した精子による人工受精が可能となり、親や世代の意味さえあいまいになっている。4遺伝子診断、遺伝子治療は新たな生命倫理の問題を提起している。これ以外に環境倫理、電子情報倫理とでも名付けられる新しい問題も生じてきている。
先進国の社会構造も変わりつつある。5社会がある程度豊かになり市民の権利意識が高まってきた結果、判断が個々の人にゆだねられる場合もできている。罹病率と予防接種禍率を比べてわが子に三種混合ワクチンを接種させるかどうかの判断を下すのは親である。6インフォームド・コンセントがとられるようになってきているが、科学の進歩で一層複雑になった医療現場において、ある治療や診断を受けるかどうかを最終的に決断するのは、本人ないしその家族である。
7来世紀にますます深刻になる地球環境・資源・人口・エネルギー問題についても、一人一人に自分の問題としての思索と決断が求められてくるだろう。8科学技術の進歩ゆえにいっそう複雑になっていくこのような問題に対して、どうすれば感情論や上滑りの議論に流されることなく、科学的知識と広い視野に立った自分なりに納得のいく判断が下せるのだろうか。9そのためには、科学と社会を結びつける良質の情報が必要である。それを自分の行動に役立てていかなくてはならないし、場合によっては、自ら発信者となることも大切である。
0残念なことに、科学者が出した成果はそのままでは判断材料として役立たないことが多い。専門用語ゆえに科学はとりつきにくい。良質の情報には優れた表現能力も必要とされる。研究に専念している科学者には時間的余裕がないのが普通であり、研究の社会的
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