俗に言う重箱のすみを突っつくたぐいの学術論文は別にして、歴史書を書くほどの人は学者でも、ということは世界的に有名な大学の教授の地位にある研究者でも、その人たちの歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁句ではないということがわかる。
もちろん彼らでも、カエサルがブルータスらに殺されずにあと十年生きていたら、ローマはどうなっていたか、とは書かない。しかし、カエサルの暗殺以後のローマの分析は、「イフ」的な思考を経ないかぎり到達不可能な分析になっている。ということは、書かなくても頭の中では考えていたということである。
では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭の中だけにしてももてあそぶのか。
それは、歴史を学んだり楽しんだりする知的行為の意義の半ばが、「イフ」的思考にあるからである。ちなみに残りの半ばは、知識を増やすことにある。「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何を」、「いかに」、行ったか、だけを書くならば、今や流行りのインターネットでも駆使して、世界中の大学や研究所からデータを集めまくれば簡単に書ける。ところが史書が簡単に書けないのは、これらに加えて「なぜ」に肉迫しなければならないからである。
ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』の最後を、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの陥落で終えた。だが、五十余日にわたった攻防戦を日々刻々記録したあるヴェネツィアの医師が残した史料は、ギボンの死んだ後で発見されたのである。それを基にして今世紀、現在では世界的権威とされているランシマン著の『コンスタンティノープルの陥落』が書かれたのだった。
この二書を読み比べてみると、たしかにランシマンの著作のほうが、五十余日の移り変わりが明確になっている。だが、本質的にはまったく差はない。ギボンの鋭く深い史観は、一級史料なしでも歴史の本質への肉迫を可能にしたのである。つまり、「なぜ」の考察に関しては、データの量はおろか質でさえも、決定要因にはならないということだ。歴史書の良否を決するのは、「なぜ」にどれほど
|