1そうした中で、「戦後史」の展望にかかわる事典を編むという作業に参加したことは、第一に自分の経験以外の細部に出会えるという機会であり、第二に全体像を見て取る、誤解を承知で言いかえれば、ある種の歴史の錯覚を得るためにも得難い機会であった。2私が担当した科学技術の分野について、多少の印象を述べる前に、一人の人間として、日本の戦後史とは何であったかという点を、簡潔に表現すれば、「生命と生活の安寧をお金で買い、その代償として、高潔さの徳を売り渡した」ということになる。3この売り物と買い物の組み合わせは、ほとんど必然であると思われるので、結局、戦後の日本の選択がまさにそれであったといってよいのだろう。良かれ悪しかれ、その選択が戦後の日本を造り、自分も含めて現在の日本人を造った。4私自身常にそのバーゲンのうちに身をさかれているのを覚える。戦後、身の内からわき出るような笑いを笑った記憶を持たない自分に気づくとき、我が身のその分裂がどれほど深い抑圧であるかを、重ねて苦く知らされる。
5そうしたバーゲンに決定的に貢献したものの一つが、科学技術であった。とくに産業技術に関していえば、その成長ぶりは、想像を越えている。早い話、自分が自分の自動車を持つことなど、一体どれだけの人が、例えば昭和二五年に信じられただろう。6無論、敗戦後、アメリカをはじめ戦勝国が食料・衣料や医薬品を放出してくれたことが、日本国民を救ったし、朝鮮戦争・ベトナム戦争では多くの国々の若者たちの血が流されたが、7日本だけは一滴の血も流さなかったばかりか、特需という形の経済的な利得だけを得たという、日本にとってまことに都合のよい事態が、続けて起こったことを見逃すわけにはいくまい。
8しかし、石油ショックを産業の体質改善に利用し、徹底した省エネルギー化と合理化の中で技術を磨いたことは、確かに日本の自助努力であったと評価することができよう。9それは原料やエネルギー資源を国内に持たない日本だったからこそ可能な努力だったとも考えられるし、さらに敢えていえば、かのバーゲンをしてしまった日本だからこそ、そこにエネルギーを傾注できた、とも考えられる。0その結果、公害抑止技術を含めて日本の技術が世界に貢献で
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