a 長文 10.2週 nngu2
 植民地主義イギリスの紀行文学の根強い伝統を論じた著作『海外へ』のなかで、イギリスの批評家ポール・フュッセルは旅人を「探検家」「トラヴェラー」「ツーリスト」の三種類のタイプに類別している。
 「探検家」とは、フランシス・ドレークきょうやエドモンド・ヒラリーきょうのように、しばしば爵位しゃくいをもってその活動を顕彰けんしょうされるようなタイプの旅人である、とフュッセルは言う。いかなるトラヴェラーもツーリストも、彼らかれ のなしとげた行為こういによって爵位しゃくい贈らおく れる、というようなことはない。トラヴェラーやツーリストの旅が探検家のそれと同じ程度に困難で記憶きおくされるべき内実をそなえたものであるとしても、それは「行為こうい」として本質的に探検家の実践じっせんとは意味づけを異にしているからだ。「探検家」は未知の探求者である。彼らかれ の旅は処女的発見のための旅であり、その地理的・博物学的・考古学的発見の行為こういは新しい科学的世界像の形成と深く結びついている。彼らかれ は死の危険をすら冒しおか て未知を彼らかれ の世界の側に奪取だっしゅする文化英雄えいゆうたろうとする。
 一方現代の「ツーリスト」の求めるものは商業主義的な企業きぎょう家によってあらかじめ発見された大衆的価値である。ツーリストはマスメディアの巧妙こうみょうなプレゼンテーションによって彼らかれ のために準備されたルートとトポスとをめぐる、現代の受動的な好奇こうき心を代表している。探検家がかたちのないもの、知られざるものと対峙たいじするリスクを進んで冒そおか うとする人々であるならば、その反対にツーリストは徹底てっていして既知きちの側につき、すでに確認されたもん切り型の「知識」を安全性の保証のもとに追認するにすぎない。
 そしてこの探検家とツーリストの両極の中間に「トラヴェラー」がいる。彼らかれ は移動の途上とじょうで生起するであろうあらゆる予期せぬ経験を旅の長所として留保しつつ、一方で彼らかれ 西欧せいおう的アイデンティティが揺らぎゆ  だす手前で巧妙こうみょうに旅の混沌こんとんから身を引き離すひ はな 彼らかれ は自分がいまどこにいるのかを熟知しつつ、世界
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放浪ほうろうのロマンティックな動機に過渡かと的に身をまかせることのできる旅人なのである。適度な異国趣味しゅみと適度な冒険ぼうけんを内側から支える安定した「世界」像のなかで、トラヴェラーは時代の経済原理をたくみに利用しながら旅してゆく……。
 フュッセルは「トラヴェラー」に一つの旅人としての理想のスタイルを見出そうとしている。探検家とツーリストという、旅の始まりと終焉しゅうえん実践じっせんの両極をわたる中庸ちゅうようの旅人のなかに、真正の旅人へのレクイエムを聞きだそうとしている。だがここで重要なのは、探検家であろうとトラヴェラーであろうとツーリストであろうと、およそフュッセルの描きだすえが   旅のトポグラフィにはつねに特定の起点と終点があらかじめ想定されているという事実の方である。探検家にとっての旅の起点も終点もきわめて明瞭めいりょうだ。ヨーロッパの中心から国家の期待を背負って旅立った彼らかれ は、ふたたび彼らかれ の都市へと凱旋がいせんする。彼らかれ 冒険ぼうけん物語を語り、撮影さつえいした処女地の写真を展覧し、爵位しゃくいを授けられるために……。そしてその点において、トラヴェラーとツーリストもじつは変わることがない。トラヴェラーの詩的なヴァガボンドの物語はあらかじめ文明世界において語られるためにこそ体験されるのであるし、ツーリストも保証された帰還きかんをすべての前提として土産を購入こうにゅうし、エキゾティックな土地の一時的占有せんゆうを示す絵はがきを郷里の友人に旅先から送って彼らかれ の知的戦利品としての風景を誇示こじするのである。
 こうして旅は家と外国とを空間的に峻別しゅんべつすることでその内容を盛られてきた。自己と他者が明確に差異化されることによって、西欧せいおう的旅人の主体性はアイデンティティを維持いじしつづけることができた。だが二十世紀末の現在、ギリシャの旅人=理論家の末裔まつえいたちは彼らかれ の思考と表現の基地・中心地としての「家」を失いつつある。安定した起点と終点を喪失そうしつした現代の旅の実践じっせんは、旅を日常の生から聖別された感覚と思考の閉鎖へいさ的領域から解き放った。旅の遂行すいこう途上とじょうで、現代の私たちは自己と他者の不思議な混交を体験し、場所の奇妙きみょう溶解ようかいに立ち会うことになったからである。旅その
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長文 10.2週 nngu2のつづき
ものが安定したアイデンティティの実践じっせんであることをやめ、行方のない彷徨ほうこうを開始したのだ。
 旅の物語を語ろうとする私たちは困惑こんわくしはじめている。家の喪失そうしつは、疑いもしなかった「帰還きかん」のディスクールの根底を揺るがゆ  せたからだ。中心から周縁しゅうえんへと赴いおもむ たはずの旅人は、もっとも隔絶かくぜつされた「辺境」で傍若無人ぼうじゃくぶじんのツーリストたちに遭遇そうぐうしてエキゾティックな物語を見失った。落胆らくたんして家へ帰りついたはずの彼らかれ は、そこがあるときから別な世界からやってくる移民と総称そうしょうされる人々の意識の果てにひろがるディアスポラの領域であったことを逆に発見した。世界の中心が別な世界の周縁しゅうえんとなり、「第一世界」の核心かくしんに「第三世界」のくさび打ち込まう こ れようとしている……。

(今福龍太りゅうた「遠い挿話そうわ」より)
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