1ではこの「世間」はどのような人間関係をもっていたのだろうか。そこにはまず贈与・互酬の関係が貫かれていた。贈与・互酬とは、マルセル・モースが提唱した人間関係の概念であるが、モースはニュージーランドのマオリ族やアメリカ先住民の慣行からこの概念を抽出しており、その基礎には呪術があったとしている。
(中略)
2重要なのはその際の人間は人格としてそれらのやり取りをしているのではないという点である。贈与・互酬関係における人間とはその人が置かれている場を示している存在であって、人格ではないのである。3こうした互酬関係と時間意識によって日本の世間はヨーロッパのような公共的な関係にはならず、私的な関係が常にまとわりついて世間を疑似公共性の世界としているのである。
4贈与の場合それは受け手の置かれている地位に送られるのであって、その地位から離れれば贈り物がこなくなっても仕方がないのである。5贈り物の価値に変動がある場合も受け手の地位に対する送り手の評価が変動している場合なのであり、あくまでも人格ではなく、場の変化に過ぎないのである。しかし「世間」における贈答は現世を越えている場合もあり、あの世へ行った人に対する贈与も行われている。
6日本における人間関係を考える場合、この贈与・互酬慣行を無視することは出来ない。なんらかの手助けをして貰ったときなどにもお礼としてものなどを送ることがある。7その場合にも返礼はしなければならないが、場合によっては礼状ですますことも出来る。日本で人間関係を良く保ちたいと思えば、この慣行をうまく利用することが必要となる。8単に場に対する贈り物であっても、自分の人格に貰ったものとして丁重な礼状を書き、場合によっては返礼をするのである。これは贈与・互酬慣行を逆手に取った手であって、それによって相手の敬意を受ける場合もある。9しかしその場合も相手次第であって、相手がどうしようもない俗物や企業である場合にはその手は通用しない。
次に問題になるのは長幼の序である。これは説明の必要はないかに見える。年長者に敬意を払うという意味であるが、ときには年長
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