1明快に外界へ延びて行く道具とは反対に、芸術は複雑に凝縮して、人間の手もとで無限の外界を予感させる象徴となった。手仕事の現実的な効果ではなく、そのプロセスそのものが、一タッチ一タッチの痕跡を積みあげて小宇宙をつくった。2外界とは相対的に独立して、芸術はそれ自体の内部に自立し得る小世界を作った。外界がどこまでも見とどけ得ない暗闇であるとするならば、人間はせめて掌のなかに、すみずみまで見つくすことのできる完結した世界を必要としたのである。
3そのとき以来、道具の制作と芸術の制作とは、車の両輪のように手仕事のパラドクシカルな両面をそれぞれに代表した。道具はもちろん、それ自身のしかたで現実についての情報量をふやしたが、人間は依然として小宇宙としての芸術の制作をやめなかった。4道具が現実についてプラスの情報をもたらしたとすれば、芸術は譬喩的な意味でマイナスの情報をもたらしたといえる。道具は人間がなにを知り得るかを教えたが、芸術はなにを知り得ないかを教えたといいなおしてもよい。5われわれの先祖は、現実にむかって量的な距離を刻々に縮めながら、一方で、なおそのかなたに拡がる無限の「沈黙」に測深器をおろしていたのである。
6われわれがみずからの手の宿命的な短さと、その短さの積極的な意味を見失ったのは、いつのことであったか確かではない。近代にはいって道具が機械へと飛躍的な発展をとげたのちにも、われわれは依然としてあの無力な手仕事をやめなかったからである。
7地理学が発展し、望遠鏡が発達し、ひとつの山の裏表まで知りつくされたのちに、人間はなおその山を肉眼で見ることをやめなかった。有限な肉眼で眺めた山を、有限な画布の大きさに描きとどめることをやめなかった。8情報の量的な大きさからいえば、山の地理学と山の風景画とは誰の眼にも比較にもならない。だが、それにもかかわらず、画家はあきもせずに、巨大な山を手のなかの小宇宙におさめる作業を続けたのである。9われわれはこの「徒労」の意味を、いくら反省しても多すぎるということはない。手仕事の徒労によって、画家は初めて情報の量的な蒐集から離れられたのであり、一塊の山の捉えがたさを観念ではなく知り得たのではないだ
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