1人生が物語であるとすれば、世界もまた物語である。私たちの人生は、他者を含む世界のなかで展開する。現象学のむずかしい議論に頼るまでもなく、私たちは「人間は彼の世界なしには存在せず、彼の世界は彼なしには存在しえない」ことを知っている。2私たちは「世界のなかでのみ、世界を通してのみ」、自分になりうるのであり、また自分であることができるのである(R・D・レイン『ひき裂かれた自己』)。もちろん、ここでいう「世界」とは、実在的な環境そのものではない。3人間によって、ある仕方で意味づけられ秩序づけられた環境が「世界」である。それゆえ、カルロス・カスタネダの一連の著書の主人公、メキシコのヤキ族の老呪術師ドン・ファンがいうように、「世界がこれこれであったり、しかじかであったりするのは、要するにわれわれが自分自身にそれが世界のあり方なのだといいきかせているからにすぎん。4もしわれわれが世界はこのようなものだといいきかせることをやめれば、世界もそうであることをやめるんだ」(C・カスタネダ『分離したリアリティー』)。
現代の私たちの社会で、「世界はこのようなものだといいきかせる」最も重要な語り手は、各種のマスメディアであろう。5それらは、むろんメディアの種類によってそれぞれに性質の違いはあるが、全体として、複雑で広大な現代社会に見合う一種の「物語提供機構」として作用し、私たちの世界像の形成と維持に大きな役割を果たしている。
6メディアの提供する物語はさまざまであるが、それらは必ずしも同じ平面に並んでいるわけではない。ある物語が提供され、広まると、しばしば別のメディアによって、その物語についての物語が提供され、さらにその第二の物語についての物語……というふうにつみ重なって、いわば多層化していくことが少なくないからである。7情報化社会において情報の多様化が進むとよくいわれるが、多様化は同時に「多層化」をともなっている。そして、こうした情報についての情報、物語についての物語といった一種のメタ情報は、しばしば、裏情報あるいは裏話の性質をもつ。
8裏情報とか裏話というと、何かひそひそと囁かれるものというイメージがあるが、マスコミの発達した現代社会では、むしろこの種の情報がメディア(とくに週刊誌やテレビ)の売り物となり、広
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