a 長文 6.4週 nnza
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 「私が結婚けっこん相手に望む経済力は、そんなに大きなものではありません。ただ私と子ども二人が安心して暮らせる程度でいいのです。子どもには小さいときから習い事をさせてやりたいです。お金がないからといって子どもにみじめな思いをさせるのだけは絶対にいやです。そして、子ども二人を私立大学に行かせてやれるくらいの給料は求めます(だって、私もそうしてもらったので当然だと思います)。月に一回は外食し(もちろんまわるお寿司すしではなく、お洒落 しゃれなイタリアンとかです)、年に一回は海外旅行に行く。そういう程度の経済力です。私には玉の輿たま こし願望はありません。私の両親が夫の両親に対し、肩身かたみ狭いせま 思いをするのはいやなので、軽い玉の輿たま こし程度で十分です。もちろん夫は真面目に働く人でないと困ります。ちょっといやなことがあると会社を辞めるとかされたりすると、とても困ります。それから、土曜日には子どもを連れて公園でサッカーしたり、川の堤防ていぼうの下でキャッチボールしたりするのを、私は堤防ていぼうの草むらに坐っすわ 眺めるなが  のが夢です。それから、煙草たばこを吸う人は絶対にお断りです。本人よりも周りにいる私や子どもたちの受動喫煙きつえん怖いこわ からです。家族(子どもと私の両親)を大事にして、結婚けっこん記念日とかは絶対に覚えていてくれないといやです。あとDVとかして、暴力を振るうふ  人ももちろんお断りです。まだ、他にもありますが、先生が三つまでと言われたので、このくらいにしておきます」
 言っておくが、これは学生の書いたものを合成したり、特定の個人のものを意図的に抽出ちゅうしゅつしたりしたものではない。みんなみんな、こう書いてくるのである。なんでここまで同じなのか、私が聞きたいくらいである。この女子学生の結婚けっこん願望を男子学生に紹介しょうかいすると、教室中に「冬虫夏草」みたいな菌糸きんし状のものが浮遊ふゆうする。漠然とばくぜん した怒りいか と不安めいたものだ。
 こういう、学生の書いたものを何年も多数読んできて、私はこの国の晩婚ばんこん化は止まらないと思ったのである。今は、まだ晩婚ばんこん化で済んでいるが、これから非こん率の上昇じょうしょうも必至である。就職難と結婚けっこん難が、双子ふたごになってやってくる。
 男の子は、正社員として就職できずにフリーターになれば結婚けっこん
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きない。結婚けっこんできないで家庭を持てないから、就労意欲が低下し、ますます離職りしょく促進そくしんされる。女の子は、正社員で就労意欲の高い、ついでに給料も高い男性目指して、「容貌ようぼう偏差へんさ値」を上げるのに余念がない。しかし、「実用偏差へんさ値」はきわめて低い。料理を作ったことがない。ご飯を炊いた たことがないという女子は多い。なぜなら、女子学生の母親は「女は、結婚けっこんするといやでも家事をしなければいけないから、家にいるうちはそんな苦労をさせたくない」と、むすめに家事をさせないからである。むしろ、男子学生の母親の方に「将来、息子が結婚けっこんしたら、奥さんおく  も働いている可能性が高いので、男も家事ができなければならないので、今から教えている」と語るケースが多かった。だから、男の子の方が、基本的な炊事すいじはできるのである。現在、大学生はとても忙しいいそが  。授業以外に専門学校に行き、アルバイトもしている。
 「バイトで深夜の十二時にアパートに帰り、カップめんを食べていると侘しくわび  なり、就職してもこういう生活かと思うと、家に帰ったときにはやはり誰かだれ 人の気配があってほしいなと思います」
 こういうことを女子学生が書いてきたケースは一回もない。男子学生にのみ見られる。こういう生活実感から来る結婚けっこんへの憧れあこが は、だからこそディテールに凝っこ た具体的なものになるのであろう。

(小倉千加子『結婚けっこんの条件』)
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長文 6.4週 nnzaのつづき
 今の世の中、孤独こどくという言葉は、なぜか悪いイメージで塗りぬ 固められている。いつからそうなったのか、私は知らない。いつのころからか、引きこもりという言葉が、現代の若者や子どもたちの、社会や学校に出られないで家にこもり切りになる特殊とくしゅな状態を指すようになってから、孤独こどくのイメージはすっかり悪くなった。言い換えるい か  なら、引きこもりの若者や子どもたちが何万、何十万という数になってから、いよいよ孤独こどくのイメージは、社会的に手を差しのべてあげなければならないもの、克服こくふくしなければならないもの、といった否定的なものになってしまったのだ。
 もちろん、集中的ないじめを受けたり、心の病になったりして、まともに対人関係を保てなくなった場合には、周囲からの何らかのサポートが必要であることは言うまでもない。そういう場合の孤独こどくと、人間ひとりが生きていくうえで本来的にまつわりつく孤独こどくとでは、本質において違うちが もののはずだ。両者の間に明確な線引きはできないにしても。
 ところが、両者をいっしょくたにして、すべて孤独こどくはあってはならないものであるかのような風潮になっているところに問題がある。子どもには子どもなりに、心の成長や考える力をつけるためには、孤独こどくな時間はとても大事なのに、今の社会はそのゆとりを持たせようとしない。ミヒャエル・エンデの『モモ』に描かえが れた「時間貯蓄ちょちく銀行」の銀行員のように、何もしないでいると、たとえば、「あなたはきょうは、二時間三十一分四十七秒無駄むだにした。一生は六十六万六千四百三十二時間二十五分四十八秒しかないのだから、時間をそんなに無駄むだにしてはいけない。一分一秒でも何もしない時間は私どもに預けなさい」といったぐあいに迫るせま のだ。
 やれじゅくに、やれお稽古 けいこに、やれ宿題に、と迫らせま れることに耐えた られない子どもたちは、ゲームやケータイやパソコンに没入ぼつにゅうする。大人たちは奇妙きみょうなことに、ちゃーんとゲームやケータイやパソコンを大量生産して、子どもたちがどんどんその世界に入るのを誘っさそ ている。そういうものをどんどん子どもに与えるあた  のは、「麻薬まやく
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与えるあた  に等しい」と言ったのは、医療いりょう少年院に勤務する精神科医・岡田おかだ尊司氏だ。
 ダブルバインド(二重拘束こうそく)という精神医学用語を紹介しょうかいしたことがある。社会学や人類学などマルチな才能を持つベイトソンという学者が作った、人間の心の領域にかかわる用語だ。ベイトソンが紹介しょうかいしている象徴しょうちょう的な症例しょうれいはわかりやすい。母親が精神病院に入院中の息子に面会に行く。息子と並んで座った母親は、口では「あなたを愛してるのよ」と言うが、内心では息子を恐れおそ ている。息子は言葉をそのまま受けとめ、嬉しくうれ  なって母親にキスをしようとする。ところが、母親は一瞬いっしゅんだがピクッと顔をこわばらせ、キスされるのを避けるさ  ように身をそらす。内心が身体に表れたのだ。息子は鋭くするど 母親の二面性を読み取り、病室に駆けか 戻るもど 。母親が帰った後、息子は暴れまくり、保護室に入れられてしまう。
 親が二律背反のことを同時に子どもに言うと、子どもはどちらを選んでいいかわからなくなり、精神的に混乱したり、身動きができなくなったりする。そういう親に育てられた子は、心の発達にゆがみが生じるおそれがある。これがダブルバインドとその結末だ。

柳田やなぎだ邦男くにおの文章による。一部省略がある。)
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