1教養の危機を語るにつけて、現代人の俗耳にもっともはいりやすい説明は、いわゆる情報化時代の脅威であろう。その場合、問題の焦点はおもにメディアの革命にあてられる。
電子メディアの台頭によぶ活字文化の衰退が憂慮されるのがつねである。2端的にいえば、人びとがテレビ映像に耽溺して本を読まなくなり、関心は総合雑誌よりもインターネットの情報に向いているといった現象が、不安として指摘される。(中略)
3変化のポイントは、知の性質のなかで永遠性よりも新しさが価値を占め、脈絡よりは断片性が強められ、知がより多く時事的な好奇心と実用性に訴えるようになったことであった。写本の聖書よりは個人の著作のほうが、著作よりは雑誌論文や新聞記事のほうが、ときどきの移り行く関心に応え、その分だけ視野の脈絡に欠けることは明らかだろう。4単行本の目次は、一つの論理の構成を示しているが、雑誌の目次や新聞のページ建ては、多様な主題を緩やかに分類しているにすぎない。そして情報という言葉のもっとも常識的な定義が、この主題の多様性、新鮮さと断片性、猟奇性と実用性であることはいうまでもあるまい。5古い情報、役に立たない情報、論理の難解な情報などは、誰の興味もひかないはずである。
ちなみに、知(knowing)を、その働きの方向によって分類すれば、情報(information)と反対の極をめざすのが、知恵(wisdom)だと見ることができる。6聖書の知恵、長老の知恵、おばあさんの生活の知恵という言い方が暗示するように、それは時間を超えた真実を総合的にとらえるものとして理解されている。知恵は深い意味で実用性を持つが、およそ新しさや多様性とは縁がなく、それ自体が内部から自己革新を起こす性質にも欠けている。7知恵は永遠であり唯一であり、その内部にも多様化への余地を許さない統一性を保っている。そして、このように比較すると、普通に知識(knowledge)と呼ばれる種類の知は、
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