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 西洋近代における一つの画期的な新しい出来事として、数学に基づく自然科学的方法による自然世界の発見と並んで、風景としての自然の発見と風景感情の覚醒かくせいということがありました。ところで日本はどうかと言いますと、幕末の開港――明治維新めいじいしんの変革と共に、西洋近代文化、特に近代のいろいろな精神文化の流入が開始するに及んおよ で、これを文化受容していく過程で、日本においても全く新たに風景の発見、風景感情の覚醒かくせいが生起することになったのです。具体的に言いますと西洋近代の精神文化の遺産であります文学・詩・西洋画(特に風景画)・建築・博物学・地理学・山岳さんがく登山・民衆芸術・思想(哲学てつがく)、更にさら それら一切の文化の精神的基礎きその一つであるプロテスタンティズムなどの日本への流入があって、これらを受容する過程で初めて、自由な個人の覚醒かくせい、自然の美の世界への心的覚醒かくせいが日本人に生じ、これによって日本人は初めて、風景の発見・風景感情の覚醒かくせいへと導かれたのでした。
 西洋近代の物質的文明の方面については、経済や自然科学の技術や制度など、すべての方面において、日本人は全面的に急速にそれらを摂取せっしゅして自分のものとなし、物的・経済的・制度的方面において、いわゆる近代化を達成したのです。この点で日本人は極めて優秀ゆうしゅうな国民であることを証明したのでした。ところが、これに対して、西洋近代の諸々の精神文化については、その本質的な部分にまで深く入って、それを理解したり受容したりするという次元になると、一般いっぱん的な傾向けいこうとして、そこではスレチガイになるか、拒否きょひされるか、そうした反応が繰り返しく かえ 起こるのです。なぜこういうことが起こるのか、ということについてですが、このような現象につきましては、かつて戦前の日本(仙台せんだい)に教授として数年(一九三六〜四一年)滞在たいざいしたことのあるレーヴィットの次のような鋭いするど 日本人観察の言葉が、そのまま的中していると思うのです。大概たいがいの日本人の西洋に対する関係において聞き逃さのが れない言外の響きひび は、ヨーロッパに対する拒絶きょぜつである」。日本人は、「あらゆる領域で今やふたたび己れ自身になろうと欲する」。それは「今日の日本人の国粋こくすい主義的な願望」の現れなのであり、「日本の自己愛」
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の現れなのである、と。またこうもレーヴイットは言っています。ギリシア人は、「自分の中から自由に歩みでること」ができた国民であって、まさにこのことによって「その根が異国のものであった一つの世界を己れの故郷」とすることができた、と。
 ところで、日本人の物質主義的・現実主義的傾向けいこうによって西洋近代の物質文明と進歩信仰しんこうの一面的・情熱的摂取せっしゅがなされたのに対して、西洋の精神文化の受容となると国粋こくすい主義的アレルギーの反応が起こる、という点を考えると、それだけに一層驚かさおどろ  れること、また感動深くあることは、明治時代の日本人の一部の人たちが初めて体験する西洋近代の精神文化の流入に直面した時、新鮮しんせん驚きおどろ 、自己を空しくして学びとろうと努力したことがあるという事実です。そしてそのことの成果として、精神文化の各方面においては、近代の自然科学的自然の発見とは異なるいま一つの自然の発見、自然における美の世界の発見、すなわち自然風景の発見に、導かれたということです。しかもこれは、明治の初期にすぐに発生する国粋こくすい主義的・日本主義的反動の層の厚い流れの中で、その流れにこうしながら生じたのでした。ですからそのことは文化史的、思想史的に極めて意義深き出来事だったと言えるでしょう。

(内田芳明よしあき氏の文章による)
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