1一九七九年一月一七日から同年二月九日までの朝日新聞『いま学校で』欄に、十六回にわたって「テストの点数は人間の価値を測る絶対的な尺度であり得るか」という問題について、A、B両氏の紙上討論とも言える「往復書簡」が掲載された。2両氏の主張の一部についての要旨は次のような内容である。
A氏
まず、人間の価値ということであるが、どこの学校においても知育、徳育、体育の調和のとれたことだと考えている。3だからこそ、「全人教育」ということばが非難しがたく幅をきかせているのである。その半面「知育偏重」「受験体制」「テスト主義」などということばが罪悪のごとく非難されている。4しかし、今までの教育を受け、受験をし、テストを課せられてきたものが、皆、人間性に問題があるのであろうか。
テストはやはり必要ではないか。およそ強制のともなわない教育などというものはあり得ない。5強制がなければ自発的に知識を身につけにくいものである。子どもを本能のままにまかせたら遊んでばかりいて、しまつにおえないのではないか。
6十題のうち三題間違えて七点という場合、「あなたの努力は七割でしたね。こんどは八割、九割とがん張りましょうね。」という励ましであり、評点と評価を明確に区別する必要はない。もし競争原理を否定したらどんな世の中になるであろうか。7オリンピック、野球、相撲、ラグビー、政治、経済、文化等々、社会各般の活動はみな停止せねばならなくなるであろう。
今学校では、体育の教科も他の教科も必修になっている。体育の時間の生徒の心理状態も学科の時間の生徒のそれも同じである。8走るなら速く走りたいし、理解はできるだけ早くしたいという気持ちは同じである。人より速く走るな、理解は人より早くするなというのは、根っから無理な話である。
9B氏
今の社会が貨幣を軸として回転しているように、今の学校は点数を軸として回転している。テストはひんぱんにおこなわれ、そのテストで一点でも多くの点数をとろうとして血まなこになっている。
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