a 長文 7.3週 nnzi
 中国には、数限りなくいっているし、ベトナムにはこれで三度目だ。北朝鮮きたちょうせんははじめてで、近くて世界で最も遠い国には興味があった。報道で伝えられてくるものは、情報としてはともかく、はだざわりが感じられない。そこにはどんな空気が流れているか、やみさはどのくらいであるかと、物書きには実感が大切だ。実感ばかりに頼ったよ て歴史の大きな流れを見落としがちになるという欠点は充分じゅうぶんにわかっているつもりで、小さな真実のようなものを拾い集める旅をしてきた。駆け足か あしで通り過ぎていく旅人にはそれしかできないからなのだが、旅というのは表層をかろやかに浮遊ふゆうするというようなものだろう。旅の快感に身をひたすということなのかもしれない。それが昔から私がとってきた方法なのだよ。
 君の年齢ねんれいよりもう少し若いぐらいの時から、私はリュックを担ぎゴムゾウリをはいて、アジアの大地をぎらぎらと巡っめぐ てきた。最初に踏みしめふ   たのは下関から船に乗ってたどり着いた韓国かんこく釜山ぷさんで、次は横浜よこはまから留学生船と呼ばれるフランス郵船の貨客船に乗って上陸した香港ほんこんとバンコクだった。バンコクからプノンペンに飛んだのが、生まれてはじめて乗った飛行機だったよ。
 あのころ、せいぜい遠くまでいったといえるのが、インドだった。結果的にアジアにこだわってきたといえるのだが、その理由は安くいけるということからだ。運賃も近いから安いし、食う寝るね も安くすんだ。安くて心が充たさみ  れるというのが、当時の私の方向感覚であった。もちろん今もそれはたいして変わっているとはいえない。
 あのころのアジアには変わらないことへの安らぎというようなものがあった。悠久ゆうきゅうの時に充足じゅうそくしてたゆたっているような感覚があり、高度成長期にはいり経済活動に邁進まいしんしはじめた国からやってきた若者には、なくしてしまった過去を訪ねるような趣きおもむ があったよ。ソウルやバンコクの路地から、子供の私が駆けか てくるような雰囲気ふんいきがあったのだ。
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 今、アジアの国々はそれぞれの道を歩いている。当時、先頭を全力疾走しっそうしていた日本は少しくたびれ、未知の世界を前に立ち暮れているような風情である。一方、北朝鮮きたちょうせん以外の国々は歩調をあわせ、同じ方向に向かって走りだした。それは日本が走ってきたと同じような道で、その功罪を知っている私は一定の危惧きぐを禁じ得ないのである。あんまり速く走るとまわりの風景も見えないし、疲れつか 余裕よゆうもなくなってしまう。それに、物質的な満足など、人の喜びのほんの一部なのだ。衣食の足りているもののいう言葉だといういい方もあるが、今私たちの国をおおっている虚ろうつ さを彼らかれ にどう伝えたらいいのだろう。
 君たちはこれからどのように生きようとしているのか、と考えると、私は暗澹あんたんとしてくる。時代はいつも暗澹あんたんとしていて、ことに若者は暗澹あんたんとしている。私は暗澹あんたんのリュックを担ぎ、アジアの大地を一歩また一歩と暗澹あんたんとして歩を運んでいたといえる。これからは君たちの時代なのだが、アジアの人たちと暗澹あんたんたる気分を分けあっていくよりしょうがないのではないかと思う。これから無限に希望のある時代とはとてもいいがたいのだ。(中略)
 温暖化している地球で、ことにアジアは熱い場所だ。将来の地球の運命を決める場所といってもよいかもしれない。若い君に、いまだ固まらない熱い岸辺を歩くことを、私はすすめたい。
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