「カセット」というと、いまではひとは普通カセット・テープのことを考えるだろうが、もともとは宝石などを容れる小箱、つまり「宝石箱」のことである。だから、「カセット効果」というのは、外国語や外来語をカタカナで表記することで、ことばを、中の見えない宝石箱に容れて、明確な概念や意味よりも、いかにもありがたそうにムード化して示す効果を意味している。
しかも、それらの外国語のカタカナ表記は、多くの場合、門外漢にとっては原語を調べようにも調べられないかたちに縮約されているので、たちまち隠語と化してしまう。このような隠語たるやしばしば専門家たちの合言葉にもステータス・シンボル――これも外国語のカタカナ表記だが――にもなるのだから、手に負えないのである。原語の概念を明らかに示すためには、ときによっては、思い切って翻訳した方がいい、と思うのである。
その点で、日頃から私が感心しているのは、現代中国語では、コンピュータのことを「電脳」、プライマリ・ケアのことを「全科医療」、ファジー工学のことを「模糊工程学」と思い切って意訳していることである。このうちコンピュータ→「電脳」は、脳機能の一部の外化を示していて的確なだけでなく、英語の「computer」やフランス語の「ordinateur」が依然として「計算機」に囚われていることを思えば、実体の表現としてすぐれている。
プライマリ・ケア→「全科医療」となると、さらに傑作である。プライマリ・ケアのプライマリは、プライマリ・スクール(小学校)のプライマリ、「基本の」ということを表わすとともに、プライマリ・ゴール(主要目的)のプライマリ、目的のうち「第一番目に重要な」ということを表わしている。(この全科といえば、かつて小学校の全教科の参考書が『××全科』と呼ばれていたことを思い出す。)日本語ではこれまでに決まった訳語がない。「基本医療」とか「一次医療」とかという訳語はあるが、十分にその意味を表わし切っていない。
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