1現代の科学技術のひとつである電気的な通信手段が「フェイス・トゥー・フェイス・コミュニケーション」ならぬいわば「テレ・コミュニケーション」を高度に可能にした。2たとえば、われわれは自分の眼前には存在していない事象、場合によってははるか遠隔のところに存在している事象をテレビジョンによって見る。3こうした仕方で、放送、新聞、週刊誌などを通して、つまりは、直接にではなく、メディアを介した「写し(コピー)」によって、われわれは現実を知っている。いや、知っているつもりになっている。「他の世界」も、このようなかたちで知っているつもりになっている現実のひとつである。
4しかし、「写し」は「オリジナル」と同じではない。「写し」がどこまで「オリジナル」に近いかは、一律には論じられないが、「現実」が「オリジナル」である場合、その「写し」としての情報はいずれにしてもいわば「擬似現実」である。
5この「擬似」という重大な性格は、情報という擬似現実の場合には、避けることができない。情報メディアというものは、単なる伝送メディアではなく、必要に応じて変形したり加工したりするメディアであるからである。6この、必要に応じて変形したり加工したりするメディアであるということと、情報メディアが科学技術的な電気メディアとして発達しているということとは、密接不可分である。
7情報という擬似現実は、伝送(具体的には、電送)されてきたものであるだけではなく、必要に応じて変形されたり加工されたりしてきている。
(中略)
8情報の変形と加工は、きわめて組織的に、また「公的に」なされることすら、ありうる。それゆえ、現代のわれわれが「他の世界」をどう見るか、見ているか、ということは、重要な次元で社会体制とも関係がある。情報メディアを制する者がひとびとの世界観を制する、という事態にもなりかねない。
9「他の世界」というものの存在をこれほど強く実感し、「他の世界」のありさまについて、多くのひとびとがこれほどたくさんのことを知っているということは、過去のどの時代にもなかったことであり、このことは、明らかに、現代のひとつの重要な性格である。
0現代の……と言っても、もちろん、右のことは現代の全世界に共通に、同じ程度に見られる事態ではなく右のことが顕著に見られ
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