a 長文 9.1週 nnzi
 現代の科学技術のひとつである電気的な通信手段が「フェイス・トゥー・フェイス・コミュニケーション」ならぬいわば「テレ・コミュニケーション」を高度に可能にした。たとえば、われわれは自分の眼前には存在していない事象、場合によってははるか遠隔えんかくのところに存在している事象をテレビジョンによって見る。こうした仕方で、放送、新聞、週刊誌などを通して、つまりは、直接にではなく、メディアを介しかい た「写し(コピー)」によって、われわれは現実を知っている。いや、知っているつもりになっている。「他の世界」も、このようなかたちで知っているつもりになっている現実のひとつである。
 しかし、「写し」は「オリジナル」と同じではない。「写し」がどこまで「オリジナル」に近いかは、一律には論じられないが、「現実」が「オリジナル」である場合、その「写し」としての情報はいずれにしてもいわば「擬似ぎじ現実」である。
 この「擬似ぎじ」という重大な性格は、情報という擬似ぎじ現実の場合には、避けるさ  ことができない。情報メディアというものは、単なる伝送メディアではなく、必要に応じて変形したり加工したりするメディアであるからである。この、必要に応じて変形したり加工したりするメディアであるということと、情報メディアが科学技術的な電気メディアとして発達しているということとは、密接不可分である。
 情報という擬似ぎじ現実は、伝送(具体的には、電送)されてきたものであるだけではなく、必要に応じて変形されたり加工されたりしてきている。
 (中略)
 情報の変形と加工は、きわめて組織的に、また「公的に」なされることすら、ありうる。それゆえ、現代のわれわれが「他の世界」をどう見るか、見ているか、ということは、重要な次元で社会体制とも関係がある。情報メディアを制する者がひとびとの世界観を制する、という事態にもなりかねない。
 「他の世界」というものの存在をこれほど強く実感し、「他の世界」のありさまについて、多くのひとびとがこれほどたくさんのことを知っているということは、過去のどの時代にもなかったことであり、このことは、明らかに、現代のひとつの重要な性格である。
 現代の……と言っても、もちろん、右のことは現代の全世界に共通に、同じ程度に見られる事態ではなく右のことが顕著けんちょに見られ
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るのは、いわゆる先進諸国においてである。現代日本がその一例であり、いや、一例と言うよりも、諸局面でさまざまな「他の世界」が取り込まと こ れて存在し、ひとびとがきわめて身近なところでそれらに接しながら生活しているひとつの顕著けんちょな例とも言うべきものが、今日の日本である。
 今日の日本のまず衣食住の場面に、実に多種多様な「他の世界」が取り込まと こ れている。世界中に、あるいは地球上に、多くの地域や国が存在し、さまざまな生活形態や文化、そして、ものの見方考え方が存在するということを、われわれはすでに衣食住の場面で、もはやそのことをあらためて意識することがないという場合も少なくないほど、よく知っている。たとえば、「衣」。今日では、どんなに珍しいめずら  民族衣装を着たひとに出会っても、そのデザインや色がらに関して「珍しいめずら  」という感じ方はするにしても、そうした衣装も存在し、そうした衣装がふつうであるひとびとも存在するということは、われわれはよく承知している。「食」と「住」についても同様であり、とくに今日の日本では、実にさまざまな「他の世界」の「食」と「住」に関心が持たれ、その相当部分は自分たちの食生活と住生活に取り込まと こ れている。そして、このような衣食住のレヴェルでの実感に支えられて、それより抽象ちゅうしょう的なレヴェルでの、「他の世界」の文化やものの見方考え方というようなものの存在もわれわれはよく知っている。(中略)
 現代における情報メディアの発達は、その根幹において、ネットワーク化というかたちで進みつつある。われわれは、多種多様な情報を多量に獲得かくとくして、「他の世界」についての自分なりに知識を積み重ね、自分の責任で判断をしているつもりになっている。「価値観の多様化」というようなことが言われるのも、そのような「つもり」の一局面である。しかし、「どこかで、その必要に応じて、変形されたり加工された、本質において同じ」情報によって、多くのひとびとが同じ方向へと方向づけられているということになっているかもしれない。現代は、その意味で、「他の世界」が実ははなはだ見えにくい時代であり、現代人が抱いいだ ている世界観は、少なくともこの意味で、はなはだ危ういものでしかない。

(増成隆士たかし『(新てい)現代の人間観と世界観』(放送大学教育振興しんこう会、一九九二年))
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