1後世から振り返ったとき、大山鳴動の「オウム」事件は、どんな意味をもって見えるだろうか。追及されている疑惑が実証されて、犯罪史上の一大事件として想起されるか。2あるいは手段と規模が特異なだけで、本質的には平凡な凶悪事件として語られているだろうか。なにしろ狂信的な閉鎖集団も、目的なき犯罪も、浄化のための民族抹殺も、歴史には多くの先例があるからである。
3だが一つだけ、この教団が明白に特異な点は、それが工業社会の漫画のような組織であり、裏腹に、宗教の持つ芸術的な表現力を完全に欠如した集団だということである。
4神域に工場群が林立し、自称によれば、農業の生産性を工業なみにあげる農薬が製造されている。信徒の悟りもヘッドギアと薬物で機械的に増産され、医師の手で効率よく管理される。5組織には正大師、正悟師など企業顔負けの地位序列が用意され、お布施の営業成績をあげれば出世が保証される。弁護士の威勢がいいのも工業社会の特色だろうし、幹部に工、医、法学部が目立って、文学部の影が薄いのは象徴的である。
6一方、この教団には通例の豪華な神殿がなく、修行場は粗末なバラックだし、都心の本部は凡庸な事務所ビルである。とくに神像が発泡スチロール製で、工場の目隠しに使われていたというのは宗教史上の珍事だろう。7制服の無趣味はよいとして、儀式の演出の稚拙は目を覆うばかり、歌や踊りは幼児なみである。当然、この教団には大衆的な祭典がなく、花火もマスゲームも護摩供養もない。かつて総選挙に出た幹部の仮面踊りなど、演劇的には「感情異化効果」の極致に達していた。
8要するに、この教団は初期工業時代の遺物にほかならず、ポスト工業社会の感性に欠けているのだが、おそらくそのこと自体、現代社会心理の病弊を体現しているのである。
9近代とは、個人にとっては業績達成の時代であり、財と地位による自己実現の時代であった。万人が「何者か」になりうるはずだ
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