a 長文 9.4週 nnzi
 生成という時、死滅しめつを反対概念がいねんとして排除はいじょするかと思われるが、「おのずから」の中核ちゅうかく的意味内容としての生成は、死をつつみこえるものとしての生成である。元和年間(一六一五―二四)に書かれた『見聞愚案ぐあん記』に、「世話に、自然じねん呉音ごおんへば自然天地の様に心得、自然しぜんと漢音にへば、もしの様に心得るなり」とあるという。特に中世において顕著けんちょであるが、自然はジネンと訓まれる時、今日一般いっぱんにいう自然・必然の意となり、シゼンとまれる時、偶然ぐうぜん・万一の意となったことが知られる。このように、「おのずから」も自然も、一見、相反する二義を持っていた。特に「シゼンの事」が万一の最たる死そのものを意味することもあったことが注目される。
 どうしてこのような相反する二義を「おのずから」・自然がもつことになったかが問題であるが、人間にとって死のような不慮ふりょな事態も、あるいは偶然ぐうぜんと思われる事態も、高い次元に立つ時、成り行きとして当然のこととして受けとめられるという理解があったからではないかと思われる。高い次元に立つとは、宇宙的地平に立つことではないであろうか。宇宙的地平に立つ時には、人間に万一・偶然ぐうぜんとして受けとられる事態も、当然の成り行きと受けとられる事態と何ら変るものではなく、したがって一つの「おのずから」、一つの自然に統括とうかつしうると理解されたのではないだろうか。
 たとえば、世阿弥ぜあみわき能『養老』に次のようなことばがある。「それ行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。流れに浮ぶうか うたかたは、かつ消えかつ結んで、久しく澄めす る色とかや。」いうまでもなくこれは鴨長明かものちょうめいの『方丈ほうじょう記』冒頭ぼうとうの文をうけて、これをわば逆転させたものである。後半を長明は「淀みよど 浮ぶうか うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし」と仏教的な無常観を語っていた。しかし、同じ『方丈ほうじょう記』の「不知。生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」などとともに、ここには日本人のより一般いっぱん的な実存感覚が示されているのではないで
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あろうか。だが、ここでいたいのは、世阿弥ぜあみが、その実存感覚をつつみこえ、これを「久しく澄めす る色とかや」と無窮むきゅうの流れを謡っうた ていることである。うたかたの浮沈ふちんをつつみこえる無窮むきゅうの流れが語られている。それは人間の死をこえる宇宙の無窮むきゅうの生成を思うものであろう。「何方より来たりて、何方へか去る」も、『養老』においては、無窮むきゅうの生成から成り来たり、生成そのものへ帰することになるであろう。「おのずから」や自然の二義性も、このような事例によれば納得しうるであろう。
 宇宙を無窮むきゅうの生成とみるが故に、人間は万一の事態を、また死を「あきらめ」ることができた。「あきらめ」は、日本人の伝統的な死生観の最も根源をなすものであるが、それがこのように「おのずから」としての自然観によってはじめて可能であったことは注目される。ここにう「あきらめ」は、今日、日常的な場でわれる消極的なものではなく、それなりに精神的な緊張きんちょうの高い「あきらめ」である。武士が強調し、その行動性の精神的な心構えとした覚悟かくごも、この「あきらめ」をふまえたものである。
「あきらめ」は、己れの願望、広くはこの世の生の肯定こうていをふくんでいる。肯定こうていしつつもなおそれを思い切るのがまさに「あきらめ」である。ところで日本人は、時に現実主義的な人間であるとわれる。しかしまた、日本人ほど生に恬淡てんたんであり死に親近感をもつものはないとわれる。この相い反するような二つの指摘してきも「おのずから」の生成という宇宙観をもってくることによって統一的に理解される。それは、この世の生は無窮むきゅうの生成より成り現われたものであり、この世の生に生きること自体が無窮むきゅうの生成の一齣ひとこまに生きることであったからである。ここから現実肯定こうてい的な姿勢が生れた。しかしまた、死は無窮むきゅうの生成そのものに帰することであり、生の終りを悲しみつつもなお「あきらめ」うるものであった。

(相良「「おのずから」としての自然」(一九八七年)による)
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