a 長文 7.1週 nnzi2
 1社会学者の森真一によれば、心理主義とは、社会から個人の内面へと人々の関心が移行する傾向(けいこう)、社会現象を社会や環境(かんきょう)からではなく個々人の性格や内面から理解しようとする傾向(けいこう)、および「共感」や相手の「きもち」、あるいは「自己実現」を最重視する傾向(けいこう)のことである。2心理主義は、かならずしも心の科学(心理学や精神医学、認知科学など)が生み出したものとは言えないが、その知識や技法が多くの人に受け入れられることによって生じてきた社会的傾向(けいこう)である。3本来は社会的・政治的であるはずの問題を、その人たち個人の問題へとすり替え(  か )て、問題を「個人化」することは政治的なプロパガンダ(宣伝)の典型的な手法である。
 4職場における精神疾患(しっかん)の原因が、不健全な組織風土や恒常(こうじょう)的な勤務過剰(かじょう)から生じているにもかかわらず、それを特定の個人の特異な病理として扱お(あつか )うとすることなどは、その一例である。5あるいは、理論心理学者のフィリップ・バニアードが『心理学への異議』で批判しているように、心理主義とは、内面化という手段によって暗黙(あんもく)のうちに人々を統治する方法である。6バニアードによれば、意図的であれ、結果的であれ、心理学はこれに加担してきてしまったのである。
 心理主義は、自己への問いかけを不健全なかたちで内面化し、原理的に解答が出ないような議論や不毛な行動へとミスリードする。7そこで、心理主義がどのような場面で問題になるのか、その分かりやすい例をあげてみよう。
 たとえば、就職を前にした学生に対して、学校はしばしば性格テストや自己分析(ぶんせき)を行わせ、その結果から自分にあった職業や職場を探すように勧める(すす  )。8自己の性格に見合った職業を選ぶことが良い職探しだとされているからである。しかし、「自分の性格はコレコレだ」ということから、あるいは、自分はコレコレの能力に優れているということから、ただちに自分の職業を選ぶことができるのだろうか。9「外向的」な性格をしている人間は、サービス業の営業・販売(はんばい)部門に向いている、その部門を担当することを好むなどと言えるだろうか。「内向的」な性格をしているがゆえに人と関わるすべを学びたくて、営業や販売(はんばい)を選ぶ人がいるかもしれない。0内気だが誠実な性格が幸いして顧客(こきゃく)から信用を得て、営業や販売(はんばい)が喜びとなってゆく人がいるかもしれないではないか。
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 あるいは、近年の日本では若年層にニート(無就学・無就労状態)が増えてきているというが、その原因を個々人の怠惰(たいだ)ややる気のなさといった心理的な性向に求めるような説明方式は、典型的な心理主義である。ほとんどの若者は就職しないのではなく、できないのであり、その原因はおもに企業(きぎょう)が中高年の雇用(こよう)を維持(いじ)して、新規採用を抑え(おさ )ていることにある。あるいは、やはり近年では社会の階層化が拡大しているというが、下層階級に位置する人々について、「コミュニケーション・スキルの未熟」や「対人関係における積極性が足りない」といった指摘(してき)をすることも心理主義的解釈(かいしゃく)である。多くの人のコミュニケーションがうまくなれば、下層階級がなくなるかどうか考えてみれば、この説明のおかしさが分かるであろう。失業者や下層階級という政治的課題が、怠惰(たいだ)とかコミュニケーションという個々人の心理の問題へとすり替え(  か )られているのである。
 自分が置かれている環境(かんきょう)を分析(ぶんせき)することなく、やみくもに自己を「内省」させること。経験を豊かにさせるのではなく、ともかく内面に注意を向けさせること。これらは心理主義的発想の現れに他ならない。この傾向(けいこう)にとらわれてしまって、的外れな「自分探し」をしている若者も多いはずである。

(河野哲也(てつや)「心はからだの外にある『エコロジカルな私』の哲学(てつがく)」による)
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a 長文 7.2週 nnzi2
 1盆栽(ぼんさい)の話をしよう。
 こう切り出せば好事家はともかく、おおかたの知識人は眉(まゆ)をひそめるに相違(そうい)ない。2自然の樹の姿をねじまげるのは心ない仕業だ、のびのびと枝葉を繁ら(しげ )せよ、という自然主義によって盆栽(ぼんさい)のサロン芸的矮小(わいしょう)性を批判し、その前近代性をあばく前に、ともかくこの高度の園芸術の素性を見定めねばならない。
 3武蔵野の深い森に囲まれた皇居の一隅(いちぐう)に数百鉢(はち)の盆栽(ぼんさい)を保有する御苑(ぎょえん)がある。日本史を飾る(かざ )お歴々の寄進した逸品(いっぴん)ぞろいのなかに三代将軍徳川家光の愛した五葉の松まで目にすれば、この国の園芸文化の奥深(おくふか)さにただ脱帽(だつぼう)するしかない。4しかも盆栽(ぼんさい)愛好の風潮は権門貴顕(きけん)に限らず広く市井(しせい)に浸透(しんとう)している。愛好層の広さと息の長さはやはりただごとではない。今日、日本のどんな片田舎へ行っても一つや二つの盆栽(ぼんさい)愛好会はあるものだ。人口が十万の都会となれば、その数は十は下らないだろう。
 5大衆文化としての盆栽(ぼんさい)愛好に関するこの連綿たる事実は、戦後、俳句第二芸術論が知識人を衝撃(しょうげき)したにもかかわらず俳句熱はいっこう衰える(おとろ  )どころか、ますます市井(しせい)において盛んなことを想い起こさせる。
 6いったい盆栽(ぼんさい)とは日本の生活史のなかでどういう位置を占める(し  )のだろうか。
 盆栽(ぼんさい)の起源についてのこまかな詮索(せんさく)はともかく、およそ平安末ないし鎌倉(かまくら)期に発した盆栽(ぼんさい)は、中世を通じて庭先の台または縁(えん)に置かれ、庭の築山を背景として楽しむならわしだった。7その様子を書いた『慕()帰絵詞』などを見ると、盆栽(ぼんさい)は庭の一部で、しかも濡れ縁(ぬ えん)の延長でもある。築山と盆栽(ぼんさい)の関係は、あたかも自然の山峰(さんぽう)とそれを借景した庭のような関係を成している。盆栽(ぼんさい)は築山を背景として眺める(なが  )ものだったらしい。
 8また一方、室町期に山峰(さんぽう)の叙景(じょけい)術として出現した立花は、次第
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に花への意識を集中させるため抽象(ちゅうしょう)性を高めながら、一方で花の床(とこ)映りをよくするため庭の花影(はなかげ)は逆にこれをつとめて抑制(よくせい)させる渋(しぶ)好みの庭園を発展させた。9生け花もまた、庭との関係が常に強く意識されていたのだった。つまり、山、借景庭、濡れ縁(ぬ えん)の盆栽(ぼんさい)、床(とこ)の生け花という、野生から掌中(しょうちゅう)にいたる序列化された自然の鎖(くさり)が、日本人の生活空間を貫い(つらぬ )ていたと思えてならない。この山水の美的序列は座敷(ざしき)と庭との不即不離(ふそくふり)な関係と並行していた。(中略)
 0自分の志操を山水に託し(たく )、これを胸中に収めた日本人はたしかに自然を愛したが、しかし、原始のままの自然を身近に置いたりはしなかった。自然と人間の間のとり方が問題であった。
 すなわち、太古の自然は敬して遠ざけ、しかるのち邸(てい)内に築いた庭にこれを借景としてとり入れた。庭はやがて軒下(のきした)に凝縮(ぎょうしゅく)されて坪(つぼ)庭となり、さらに盆栽(ぼんさい)となる。自然を社会化するこの流れは、土を払い(はら )落とした草木が床(とこ)の間へ上り、人々が華(はな)の幻(まぼろし)をそこに見るまでやまなかった。巧み(たく )に巧ま(たく )れてついに身辺へたぐり寄せられた山水は、作法美の域にいたってようやく人々の掌中(しょうちゅう)に収められたのだ。
 生命現象の次元では手つかずの自然は尊いが、文化現象の話になれば自然は作法化されなければならなかった。それは人間と自然との美的黙約(もくやく)である。

(「風景学・実践(じっせん)篇(へん)」(中村良夫)より)
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a 長文 7.3週 nnzi2
 1あとになって水かけ論にならないように、契約(けいやく)によって権利義務をあらかじめきちんとするという慣行は、日本ではまだ確立していないように思われる。2とくに身近な人との間では、契約(けいやく)書をつくらず、口約束ですましている。よくいえば、日本人は人がよくて相手を信用しすぎるということかもしれない。しかし悪くいえば、ものごとのけじめをはっきりつけないで、ルーズにしておくということでもある。
 3しかし、人はあらかじめ紛争(ふんそう)が予見できるくらいならば、もともと契約(けいやく)をむすばないものである。つまり、こういうことである。契約(けいやく)をむすぶことは、それ自体つねに相手方を信用することであり、「まさかそんなことはおこるまい」と思うことなのである。4そしてまさに権利の行使が問題になるときは、つねに、そのまさかという信用がうらぎられたときのことなのである。だから、契約(けいやく)の内容をきちんとしたうえで契約(けいやく)書を交わすことは、権利を大切にする社会ではしごく当りまえのことである。
 5日本は、ウェットな社会で情緒(じょうちょ)を重んじる。これはこれで、すぐれた日本人の資質である。しかし、それは反面、日本の甘え(あま )社会を助長しているのではなかろうか。6個人的人間関係では情緒(じょうちょ)が通用しても、契約(けいやく)は通常、利害の対立する者の間のルールであるから、いわばビジネスの問題である。もちろんビジネスでも情緒(じょうちょ)が入り込む(はい こ )が、それが中心となったのでは契約(けいやく)社会は崩壊(ほうかい)する。7友情は友情、ビジネスはビジネスなのである。ウェットな関係とドライな関係を使いわけることは、日本ではまだむずかしい。人びとはこの両者を混同し、そのためにものごとをあいまいにして生きている。これでよいのか、という根本の問いがここにはある。
 8客観的ルールの定立が人間の信用やメンツを傷つけるものであるかのように受けとる日本人の心理は、人間をはじめから信用のおける人間(善玉)と信用のおけない人間(悪玉)とに区別し、状況(じょうきょう)に応じて変化するものとしてはとらえないという、固定的思想にもとづくものであろう。9しかし、契約(けいやく)においては、相手方の人間の誠実さを疑うかどうかが問題なのではなく、疑おうと思っても疑うことのできない客観的状況(じょうきょう)のなかに相手方をおく、という
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ことが問題なのである。だから、ここで要求される誠実さとは、ルールに拘束(こうそく)され、それにしたがって行動するという誠実さにほかならない。
 0この点で、「契約(けいやく)は拘束(こうそく)する」あるいは「契約(けいやく)は守らなければならない」という命題が、私たちの社会では今日なお一般(いっぱん)常識となっていないことが問題である。借金して返済の日が来ても、一日ぐらいはよいだろう」とか、「すこしくらい大目にみてくれるだろう」など、ルーズな気持ちがはたらく。
 約束やルールを守らないことは恥ず(は )べきことであるという意識、約束した以上は責任をもって守るという意識は、市民の間でも成熟していない。これは日本社会の根底にふれる問題を含ん(ふく )でいる。そういう社会的土壌(どじょう)の上に、政治社会の公約違反(いはん)がまかり通る。
 政党や立候補者の側にも国民の側にも、約束を守る意思、守らせる意思は微弱(びじゃく)である。政党も国民も「どうせ選挙のための道具だ」という程度にしか考えていない。国民に示した約束はかならず守るという責任感のきびしさを、日本の政党はまだ身につけていない。国民の側にも、公約を果たすことを政党・立候補者にきびしく要求し、公約を守らない議員は次の選挙で落とすというほどのきびしさを持っていない。やや大げさないい方になるが、日本人のルーズな契約(けいやく)観は、この国の政治腐敗(ふはい)をもたらす一つの要因となっている。
 さらに、情緒(じょうちょ)社会になれている日本人相互(そうご)の契約(けいやく)ならば、ルーズであっても、それなりにうまく解決できる場合でも、契約(けいやく)の拘束(こうそく)力について日本人よりもきびしい考えをもっている外国人との契約(けいやく)となると、そうはいかない。そこでは日本人的甘え(あま )は通用しないからである。今後は、国際化の時代において、日本人も異文化との接触(せっしょく)がますます多くなるであろう。国際取引や世界市場に乗り出す企業(きぎょう)はもとより、私たち市民が外国旅行や留学する場合であっても、異文化摩擦(まさつ)を生じないようにするためには、あらかじめ他民族やその国家の文化についてなにがしかの知識を持っていないと、誤解のもとになる。
(渡辺(わたなべ)洋三『法とは何か』)
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a 長文 7.4週 nnzi2
 1社会的固定化と儀礼(ぎれい)化がすでに深く武士の生活様式をとらえていた享保(きょうほ)年代に、かつての戦国華やか(はな  )なりし武士道を無限のノスタルジアを含め(ふく )て回想した山本常朝の『葉隠(はがくれ)』を見ても(そこでは、戦国武士の解放性と溌剌(はつらつ)性が歪め(ゆが )られて陰(かげ)にこもった色調に蔽わ(おお )れているとはいえ)、2その強調する主君への純粋(じゅんすい)無雑な忠誠と「献身(けんしん)」が、けっして権威(けんい)への消極的な恭順(きょうじゅん)ではなくて、むしろ卑屈(ひくつ)な役人根性や大勢順応主義に対して、吐き気(は け)をもよおすばかりの嫌悪(けんお)感に裏うちされ、学問と教養の静態的な享受(きょうじゅ)にたえず抵抗(ていこう)する行動的エネルギーを内包し、3中庸(ちゅうよう)でなくて「過度」、謙譲(けんじょう)でなくて「大高慢(こうまん)」、――要するに「気力も器量も入らず候。一口に申さば、御家(おいえ)を一人して荷(にな)ひ申す志出来申す迄(まで)に候。同じ人間が誰(だれ)に劣り(おと )申すべきや。4惣じて(そう  )修行は大高慢(こうまん)にてなければ役に立たず候」というような非合理的主体性とでもいうべきエートスに貫か(つらぬ )れていることを看過してはならないだろう。5ここでは御家(おいえ)の「安泰(あんたい)」は既成(きせい)の「和」の維持(いじ)ではなくて、行動の目標となる。こうした側面はとくに集団の危機感に触発(しょくはつ)された際に奔騰(ほんとう)する。6忠誠が真摯(しんし)で熱烈(ねつれつ)であるほど、かえって、「分限」をそれぞれまもる形での静態的な忠誠と、緊急(きんきゅう)の非常事態に際して分をこえて「お家」のために奮闘(ふんとう)するダイナミックな忠誠とが、生身をひきさくような相剋(そうこく)をひとりの魂(たましい)のなかにまきおこすのである。
 7たしかに徳川三百年の「文治」主義と「天下泰平(たいへい)」とは武士の家産官僚(かんりょう)化を広汎(こうはん)に押し(お )すすめ、後期に至っては忠誠の形式化と偽善(ぎぜん)化をもたらした。8けれども幕末の動乱と切迫(せっぱく)した対外的危機意識は、「封建(ほうけん)的忠誠」のなかに潜在(せんざい)していた、さきのような名誉(めいよ)と責任感、それと結びついた「行動主義」を奔騰(ほんとう)させる最後のチャンスをよびおこすこととなるのである。9いわゆる激派浪士(ろうし)たちの行動様式に戦国乱世の「豪傑(ごうけつ)」的気概(きがい)と奔放(ほんぽう)性とが再現していると
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するならば、他方でたとえば吉田(よしだ)松陰(しょういん)に見られる「没我(ぼつが)的」忠誠と主体的自律性、絶対的帰依(きえ)の感情と強烈(きょうれつ)な実践(じっせん)性との逆説的な結合のうちには、あきらかに『葉隠(はがくれ)』的なエートスに通じる伝説を窺う(うかが )ことができる。
 0さきに述べたように、武士の存在形態の変質と封建(ほうけん)的階層制の全国的な系列化は、社会的結合のベルトを、主従の「契(ちぎり)」や「情誼(じょうぎ)」といった直接的人格関係に放置することを許さなくなり、そこに「諸侯(しょこう)」とか「卿大夫(けいたいふ)」とか「士」とかいった古典中国に由来する組織のカテゴリーが大規模に登場して、五倫(ごりん)五常が体制倫理(りんり)にまで拡大されてゆく客観的な基盤(きばん)があった。けれども、一方で武士のエートスが家産官僚(かんりょう)的精神のなかに完全には吸収されなかったように、他方で儒教(じゅきょう)的世界像の浸透(しんとう)もけっしてたんに「封建(ほうけん)的忠誠」の静態化、固定化の役割だけを演じたわけではない。むしろ一般(いっぱん)的に言って、日本の思想史において、人間または集団への忠誠と関連しながら、しかもそれと区別された原理への忠誠を教えたのは、やはり中国の伝統的範疇(はんちゅう)である道もしくは天道の観念であった。仏教の「法」の観念も、その元来の世界宗教の本質からすれば、儒教(じゅきょう)以上に普遍(ふへん)主義的な原理への忠誠をもたらしてよいはずであるが、仏教哲学(てつがく)自体に積極的な社会倫理(りんり)としての側面が比較(ひかく)的に稀薄(きはく)なことと、とくに日本仏教の伝統的性格のために、人間行動への独自な規範(きはん)的拘束(こうそく)力はそれほど大きいとはいえない。神「道」や仏「道」は、公然もしくは隠然(いんぜん)と、「聖人の道」をとりこみ、これと癒着(ゆちゃく)したかぎりで人倫(じんりん)の原理となりえたのである。

(丸山眞男(まさお)『忠誠と反逆』による)
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a 長文 8.1週 nnzi2
 1渓流(けいりゅう)に糸をたれた釣人(つりびと)のすがたを見ると、変な連想だけれども、ぼくはいつもじぶんの張った網(あみ)でじっと獲物(えもの)のかかるのを待っている蜘蛛(くも)のすがたを思い出してしまう。たんに、獲物(えもの)を待っているすがたが似ている、というのではないのである。2釣り(つ )をしている人間が自然とのあいだにつくりあげようとしている一つの「関係」のようなものが、蜘蛛(くも)が網(あみ)をとおして蝿(はえ)とのあいだにつくりあげようとしている「関係」と、とてもよく似ているとぼくは思うのだ。
 3蜘蛛(くも)は蝿(はえ)とはちがったやりかたでまわりの世界を見、知覚し、その世界のなかを動きまわり食べながら、生きている。蜘蛛(くも)と蝿(はえ)は生物としての構造が違う(ちが )。4だからそれぞれは、それぞれのちがったやりかたで自然の世界を生きている。ちょっと気どって記号論風に言えば、ふたつの生物は異質なコードをとおして、まわりの自然と交流しあっているのだ。5だから、もしも蜘蛛(くも)が空中に張りわたしたあの網(あみ)さえなければ、蜘蛛(くも)と蝿(はえ)とはおたがいのあいだになんの関係もつくりあげることのないまま、おなじ空間のなかの違う(ちが )世界を棲み(す )わけつづけることもできただろう(なにしろ、ふたつの生物は別種のコードをとおして、おなじ空間を別のもののように知覚しているのだから)。6ところが、ここに網(あみ)がある。蜘蛛(くも)が長い生物進化のなかでつむぎだしてくるのに成功した網(あみ)がある。この網(あみ)が異質なコードのあいだの接続を実現してしまうのだ。蝿(はえ)は網(あみ)にかかる。この瞬間(しゅんかん)に蝿(はえ)はいやおうなく、別種の生物である蜘蛛(くも)のコードをうけいれざるをえなくなるのである。7またそれと同時に、蜘蛛(くも)のほうも蝿(はえ)のコードをうけいれる準備をととのえておかなければならなかったはずだ。もし蜘蛛(くも)が蝿(はえ)の生物学的なコードをまったく無視していたりすれば、蜘蛛(くも)の張った網(あみ)はいつまでもむなしく風のそよぎばかりをうけとめていなければならないだろうから。
 8捕食(ほしょく)という生物の現象のなかには、いつもこういう「コード横断(transcodage)」がおこっている。つまり、ひとつ
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の生物が別の生物に出会い、異質なコードどうしが接触(せっしょく)する場所に、生物界のもっとも感動的な瞬間(しゅんかん)が発生するのである。9「自然はひとつの音楽だ」と言われるときの「音楽」は、じつはこの瞬間(しゅんかん)のことをとらえた言い方なのである。たがいに異質なコードどうしが接触(せっしょく)しあい、おたがいのあいだに横断がおこったとき、そこにはリズムが、メロディーが発生する。0雨が植物の葉っぱをうつ。そこに音楽が生まれる。だがこのとき葉は雨のコードを受け入れてしなり、雨は植物を受けとめて落下の方向を変化させていく。ここでも同じ現象がおこっている。生物が別の生物を待ちうけておたがいのあいだに決定的な接触(せっしょく)の状態をつくりだそうとするときと、おなじ「コード横断」の現象がおきている。
 釣人(つりびと)が渓流(けいりゅう)に釣糸(つりいと)をたれているとき、そこにおこっているのも、まったくおなじ「コード横断」の現象だ、とぼくは思うのだ。人間はこのとき釣竿(つりざお)をとおして水のなかの生物界と関係をつくろうとしている。(中略)
 釣り(つ )のもっとも感動的で魅力(みりょく)的な瞬間(しゅんかん)は、この「コード横断」のおこるカタストロフィの瞬間(しゅんかん)なのだろう、とぼくは思う。その瞬間(しゅんかん)に「人間─釣竿(つりざお)─糸─餌(えさ)(針)─魚」という、それをひとまとめにしてみると、まったく奇妙(きみょう)な混合生物ができあがっている。このとき、人間もふつうの生活のときとは微妙(びみょう)にちがう生物に変貌(へんぼう)している。彼(かれ)は細心の注意をはらって、からだの動きや感情や知覚をコントロールして、じぶんの生物的コードの一部分を、魚のそれとの接触(せっしょく)と横断が可能になるような状態に変化させておかなくてはならないからである。釣人(つりびと)はこのとき魚の生物コードの一部分をじぶんのなかにとりいれている。人間が水中に入りこんで乱暴に魚を手づかみにするときにはこういう微妙(びみょう)な変化はおこっていない。

(中沢(なかざわ) 新一『蜜(みつ)の流れる博士』)
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a 長文 8.2週 nnzi2
 1ともかく正しいこと、しかも百パーセント正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって「非行をやめなさい」とか、「シンナーを吸ってはいけません」とか、忠告する。煙草(たばこ)を吸っている人には、「煙草(たばこ)は健康を害します」と言う。2何しろ、誰(だれ)がいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。後者の場合だとすぐに、「そんな無茶を言ってはいけません」とやられるに決まっているから、まあ、黙っ(だま )て聞いている方が得策ということになる。
 3もちろん正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは百パーセント正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。4ところが、そのコーチが「相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ」、と言った時、それは役に立つだろうが、百パーセント正しいかどうかは分からない。敵は裏をかいてくることだってありうる。あれもある、これもある、と考えていては、コーチは何も言えなくなる。5そのなかで、敢えて(あ  )何かを言うとき、彼(かれ)は「その時その場の真実」に賭ける(か  )ことになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、彼(かれ)は責任を取らねばならない。
 6このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。7そのような不安や危険に気づかずに、よい加減なことを言えば、悪い結果が出るのも当然である。
 ひょっとすると失敗するかもしれぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから忠告も生きてくる。8己を賭ける(か  )こともなく、責任を取る気もなく、百パーセント正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その百パーセント正しい忠告を、まず自分自身に適用して見ると良い。9「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
 もっとも、自分はその通りにやっているし、効果もあげている、という立派な方も居られるが、そこまで立派な方は人間を通りこし
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て、既に(すで )ホトケになって居られるのだろう。0ホトケに「こころの処方箋(しょほうせん)」など不要なのはもちろんである。実際、いつどこでも誰(だれ)にでも通じる正しいことのみを生きていては、「個人」が生きていると言えるのかどうか疑わしい。それは既に(すで )ホトケになっている。
 百パーセント正しい忠告は、まず役に立たないが、ある時、ある人に役立った忠告が、百パーセント正しいとは言い難いことも、もちろんである。考えてみると当り前のことだが、ひとつの忠告が役立つと、人間は嬉しく(うれ  )なってそれを普遍(ふへん)的真理のように思い勝ちである。たとえば、次のようなこともあった。
 ある宗教家が「死にたいと言う人に、本当に死ぬ人はない」と思い込み(おも こ )、(こんなことは決して断言できない。「死にたい」と言って自殺する人は沢山(たくさん)ある)「自殺をしたい」と言う人に、それなら自殺の仕方を教えてやろうと詳細(しょうさい)に死に方を教えてやると、その人はびくついてしまって自殺を断念した。それに味をしめて、その宗教家が次の人にも同じ手を使ったら、その人が言われたとおりの方法で自殺をしてしまったので、自殺の方法を教えた宗教家は、すっかり落ち込ん(お こ )でしまった。
 これは極端(きょくたん)な例であるが、このようなことは、あんがいよく生じる。これは、一回目のときには、相当に自分を賭け(か )て言っているのに、二回目になると、前のようにうまくやってやろうと思って、慢心(まんしん)が生じたり、小手先のことになって、己を賭ける(か  )度合が軽くなっているために、うまくゆかないのである。前と同じようにやろう、などと言っても、考えてみると人生に、「同じこと」などあるはずがないのだ。もちろん、「昨日も七時に朝食を食べた、今日も同じように……」というレベルでなら、同じことは存在し、朝食のパンを毎朝正しく焼くことも可能であろう。しかし、ある個人の存在が深くかかわってくるとき、そこには同じことは起こらなくなってくるし、まさにそのときに、その人にのみ通じる正しいことが要求され、それは、一般(いっぱん)に人が考えつく、百パーセント正しいこととは、まったく内容を異にするのである。………
 ここに述べられたことは、百パーセント正しいことである、などと読者はまさか思われないだろうが、念のために申しそえておく。
(河合隼雄(はやお)「心の処方箋(しょほうせん)」の文章による)
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a 長文 8.3週 nnzi2
 1個としてのアイデンティティとクラス──性的・文化的・社会的・国家的・民族的、等々のクラス──という問題は、それこそ人間の生き死にに関わるテーマであったし、いまなおそうであり続けている。2しかも、クラス・アイデンティティはたんに個人の選択(せんたく)の対象ではなく、しばしばマジョリティ(多数派)からマイノリティ(少数派)に押しつけ(お   )られるものでもある。3実際、あのナチによる「ショアー」においては、何百万人という人間が「ユダヤ人」というクラス、「ジプシー」というクラス、「障害者」というクラス、等々に分類され、最終的には「生きるに値しない存在」というクラスに一方的に「選別」されることによって、殺戮(さつりく)されたのだった。4その意味で、ぼくらは「ショアー」を、個体としてのアイデンティティヘのクラス・アイデンティティのもっとも暴力的な付与(ふよ)(押しつけ(お   ))、と呼ぶこともできるだろう。
 5だがそれでいて、個としてのアイデンティティとクラスとしてのアイデンティティをきれいに選り分けることはおそらく困難であると思われる。6クラスとしてのアイデンティティ規定をどんどん削ぎ(そ )落としてゆけば、その人間の個体としてのアイデンティティも次第に形式的なもの、空虚(くうきょ)なものとなってゆかざるをえないからだ(そして、この空虚(くうきょ)で形式的な「自己」こそを単位として、近代の国民国家はそこに自らの創出神話を充填(じゅうてん)してきたとも言えるのだ)。7むしろ、個体としてのアイデンティティは、大枠(おおわく)としては、さまざまなクラス・アイデンティティのそれ自体個性的な布置、という形で捉え(とら )なおさざるをえない側面があるのではないだろうか。
 8しかし、その場合のクラス・アイデンティティはしばしばマジョリティ側からマイノリティ側に「押しつけ(お   )られた」ものである。9たとえば、プリーモ・レーヴィ()は元来その生育環境(かんきょう)のなかでは「ユダヤ人」であることをさほど意識していなかったし、当時のルーマニア領チェルノヴィッツ()に生まれたパウル・ツェランも、父親が「ユダヤ的」教育を施そ(ほどこ )うとするのをむしろ嫌っ(きら )ていたと伝えられている。0逆説的にも、ナチによって一方的に「ユダヤ人」という規定を付与(ふよ)されることによって、彼ら(かれ )は自らの「ユダヤ人性」を
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深刻に想起させられたのだった。その意味で彼ら(かれ )にとって、「ユダヤ人」というアイデンティティには、最初からある種の他者性が付着していたと言えるのだ。そんな彼ら(かれ )が「ユダヤ人である」という問題に、どう向き合おうとしたか。彼ら(かれ )の表現を「ユダヤ人性」一般(いっぱん)に還元(かんげん)することができないのと同様に、彼ら(かれ )はユダヤ人である以前にひとりの書き手であった、というだけで済ますことができないのも事実なのだ(むしろ、彼ら(かれ )は「ユダヤ人」であることによって、「書き手」であらざるをえなかった、と言うことも十分可能なのだ)。
 要するに、マイノリティの位置にある──あらざるをえない──人々にとって、アイデンティティをめぐる問題は、また、マジョリティ側の土俵、圧倒的(あっとうてき)に「他者」の支配している舞台(ぶたい)でなされるほかない、という側面が抜き(ぬ )がたく存在しているのである。自分が自由な個としてアイデンティティを選び取る以前に、マジョリティの無数の指先が自分に突き立て(つ た )られていて、自明のように帰属クラスを指定しているという理不尽(りふじん)な事態。そこでは敵の舞台(ぶたい)で、敵の武器を逆手にとって、「固有の自己」をもとめての暗闘(あんとう)が繰り広げ(く ひろ )られる、という局面が現出せざるをえないのだ。

(細見和之(かずゆき)『アイデンティティ/他者性』)
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a 長文 8.4週 nnzi2
 1遊戯(ゆうぎ)上のこの経験の核心(かくしん)の部分に影絵(かげえ)のように映っている「実物」は一体何か。すなわち隠れん坊(かく  ぼう)の主題は何であるのか。窪田(くぼた)富男氏が訳業の労をとられたG・ロダーリの指摘(してき)に従って端的(たんてき)に言うならば、この遊戯(ゆうぎ)的経験の芯(しん)に写っているものは「迷い子の経験」なのであり、2自分独りだけが隔離(かくり)された孤独(こどく)の経験なのであり、社会から追放された流刑(るけい)の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨(ほうこう)の経験なのであり、人の住む社会の境を越え(こ )た所に広がっている荒涼たる(こうりょう  )「森」や「海」を目当ても方角も分らぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである。3そして、そういう追放された彷徨(ほうこう)の旅の世界が短い瞑目(めいもく)の後に突然(とつぜん)訪れて来るところに、ある朝眠り(ねむ )から醒める(さ  )と到来(とうらい)しているかもしれない日常的予想をはるかに超え(こ )た出来事の想像がその影(かげ)を落している。(中略)
 4しかし他方、隠れん坊(かく  ぼう)が模型化している一連の深刻な経験は、実際の事実世界における経験そのものから写し取ったものではない。それは「実物」でも「原物」でもなく、既に(すで )「おとぎ話」固有のある構図の中で物語られ昇華(しょうか)されている経験からの写しであった。5ここで私たちは、もう既に(すで )、「孤独(こどく)な森の旅」や「追放された彷徨(ほうこう)」や、そして一定の「眠り(ねむ )」の後に起こる「異変」や「別世界の事」どもを、子供に向って物語っている様々な「おとぎ話」や「昔話」の数々を想い起こしているはずである。6先程来述べられたような「試練」や「他界の経過」を経て、日常的予想を超え(こ )た在るべき結末(たとえば結婚(けっこん))に到達(とうたつ)することによって社会の中に改めて再生する物語は、決して唯(ただ)一つの表現形式に限られてはいないのだけれども、しかしその主題を子供の世界で展開するものは「おとぎ話」一つなのである。
 7しかも隠れん坊(かく  ぼう)とおとぎ話におけるその主題の消化の仕方は絶対的な軽さを持っている。主題は先に挙げた一連の基本的経験であったがその深刻な経験の質料から来る重圧感はここにはない。8煩雑(はんざつ)な細密描写(びょうしゃ)を全て削ぎ(そ )取って明快簡潔に構図(構造というよ
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り構図)を描き出す(えが だ )おとぎ話固有の方法が、経験の重量を消去してそのエキスを血清のように抽(ひ)き出しているからでもあったが、9それと同時にそのおとぎ話を台本とする寸劇が言葉の使用を徹底的(てっていてき)に取り払う(と はら )ことによって、玩具(がんぐ)的に簡略な即(そく)物性を倍加させたからでもあった。0経験はここでは粘着(ねんちゃく)的個性から解放されている。こうしておとぎ話が主題として語る経験は寸劇化されることによって一層重苦しさから解き放たれたエキスとなって、知らず識らずの間に血清として子供の心身の底深くに注ぎ込ま(そそ こ )れ蓄積(ちくせき)されていく。将来訪れるであろう経験に対する胎盤(たいばん)がこのようにして抗体(こうたい)反応を起こすことなく形成されるのであった。
 こうして見ると、家のすぐ外の路地で隠れん坊(かく  ぼう)が行なわれていることがいかなる意味を持つかがいくらか分って来るはずである。家の中で聞いたおとぎ話の主題は(あるいは部屋の中で読んだおとぎ話の主題は)、隠れん坊(かく  ぼう)に翻案(ほんあん)して遊ぶことによって、「聞く」こと(あるいはそれに加えて「読む」こと)と「演ずる」こと、という次元を異にした二つの通路を通して心身の奥深く(おくふか )に受け入れられる。話を聞く際に受け取る抑揚(よくよう)や韻律(いんりつ)の知覚、読む場合に自生的に起こる知的想像、無言演劇への翻案(ほんあん)を通して滲(し)み込む(こ )身体感官的な感得、それらが一体となって統合的に主題が消化されるのである。
 経験が、前頭葉だけのものでなく身体だけのものでもなく感情だけのものでもなくて、心身全体の行う物事との交渉(こうしょう)である限り、心身一体の胎盤(たいばん)が備わっていないところには経験の育つ余地はまずないと言ってよい。そういうところでは、経験となるべき場合においてさえ、そこから一回きりの衝撃(しょうげき)体験だけを受け取ることになるであろう。だとすれば、おとぎ話と隠れん坊(かく  ぼう)、話と遊戯(ゆうぎ)の統合的対応が失われている状態を放置することは取りも直さず経験の消滅(しょうめつ)を促進(そくしん)することにほかならないであろう。

(藤田()省三『精神史的考察』による)
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a 長文 9.1週 nnzi2
 1建築について「狭い(せま )」というのはたいてい負の評価であり、その延長上に「狭苦しい(せまくる  )」という表現がある。しかし私は、まぁ状況(じょうきょう)によりけりであるが、しばしば狭(せま)さを快適に感じる。2たとえば寝台(しんだい)車がそうで、あの狭い(せま )場所に身を置いて間仕切りカーテンを閉めると妙(みょう)に落ち着いた気分になり、深夜の停車駅で窓側のカーテンを細く開けて人影(ひとかげ)のないプラットホームを覗き(のぞ )見たりするとゾクゾクと嬉しい(うれ  )。3これはたぶん、「あそこ」は広く寂しい(さび  )が、自分の居る「ここ」は、それから区分されて狭い(せま )が心理的に保護された親しい場所になっていると感じるからだ。つまり「ここ」は「狭(せま)楽しい」のである。
 4これと対照的に、だだっ広い空間はしばしば落ち着けない場所になるもので、たとえばシーズン・オフの観光地のホテルのロビーでたまたま自分一人だったりすると居心地が悪いが、これは自分の居場所が「あそこ」と区別された「ここ」になりにくいからだろう。
 5世の中には狭い(せま )場所に閉じこめられるのを嫌う(きら )人も少なくない。これが病的になると閉所恐怖症(きょうふしょう)(claustrophobia)になるわけだが、私のように広さが苦手な体質も極端(きょくたん)になれば、広場恐怖症(きょうふしょう)(agoraphobia)になる。6精神の病いというものは人にもともと内在する性向の極端(きょくたん)化である場合が多いから、私たちは皆(みな)、病いの源を持っているわけで、狂気(きょうき)と正常の間には広いグレーゾーンがあると考えれば人間は多かれ少なかれ広場恐怖(きょうふ)的、閉所恐怖(きょうふ)的のどちらかの傾向(けいこう)を持っている。
 7このどちらが良いかは場合によりけりで定め難いが、どうも住宅の設計には前者、つまり「狭(せま)さ」の快適さを理解する性向のほうが適しているような気がする。8対照的に「広さ」の快適さを味わえる人は記念碑(きねんひ)的建築や儀式(ぎしき)の場所の設計に巧み(たく )だろうから、建築家としてはどちらが適性とも言えない。
 9なぜ住宅では狭(せま)さが重要かというと、これは私の住宅観にもよるのだが、住まいとは、基本的に「何にもしない」場所だと思うか
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らだ。0そりゃ家事や仕事や勉強もしますよ。そういう「何か」をしている時には、広さのゆとりが便利だし快適でもあろうから、住まいにも広さを要する領域もある。しかし「何もしていない」時、自分の感覚で支配しきれない広さに身をさらすと、落ち着かないのではないか。そういう時「広さ」は、「裸(はだか)で身をさらす」感じになる。逆に「狭(せま)さ」が時として快いのは、自分の感覚で支配し得る領域を「身体の延長として身にまとう」感じになるからだろう。寝台(しんだい)車のブースを快適と感じる時、私はそれを「着ている」。その着心地が良いのは、旅という周囲がよそよそしい状況(じょうきょう)の中で自分専用の場所としての「ここ」を確保したからで、自宅で寝台(しんだい)車のブースのような狭い(せま )場所に寝(ね)て快適というわけにはいかないだろう。また狭い(せま )場所に自分の意志に反して幽閉(ゆうへい)されたら耐え難い(た がた )に違い(ちが )ないので、快適さは自ら進んでそこに引きこもることからくる。独房(どくぼう)と寝台(しんだい)車には、着衣で言えば拘束(こうそく)衣と外套(がいとう)のような差があるのだ。
 「ここ」性は、「あそこ」の広さと区別され対照される相対的な「狭(せま)さ」から生まれる。つまり「狭(せま)さ」とは必ずしも物理的、絶対的なサイズの問題ではなく、「ここ」を適度に限定するように「囲われている」ことである。そう考えると、住まいの本質は「囲い」なのだ。この囲いは、拘束(こうそく)ではなく、「ここ」をつくり出すことによって人の心に安らぎを与え(あた )、解放するのだ。
 その意味でご同業の畏友(いゆう)・益子義弘(よしひろ)の次の言葉は、まさに至言である。「人が自由になれるには、いくらかのものの支えが必要だ。裸(はだか)のままでは最早人は生きることはできない。(中略)適度な囲いが人の心を開く力は計り知れない」。

(渡辺(わたなべ)武信「空間の着心地」)
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a 長文 9.2週 nnzi2
 1物にはことごとく名前がある。「何か」として命名できないものはない。たまに命名できないものがあると、その不気味さにだれもがおののくが、それでもそれはすぐに「何か」として了解(りょうかい)されなおし(物のばあいなら「何か」として、人間のばあいなら個人名はわからなくても「ひと」として)、やがていつもの世界のなかに収容される。
 2「何か」であるそれらの物は、同時にしかし、ことごとく「だれかのもの」でもある。身のまわりを眺め(なが )て、だれのものでもないものを見つけるのはむずかしい。3物だけではない。他人も(たとえばだれの子か)、そして自分自身についても(このからだ、この記憶(きおく)はわたしのものである)、だれのものかが問題になる。
 4わたしたちのまわりはいつのまにこのような光景になってしまったのだろう。あらゆるものが同時に、だれかある個人もしくは団体のものとしてある光景。
 5所有されてきたのは、土地・家屋・調度品・著作・作品や情報という知的財産だけではない。家族関係にも、さらには臓器移植から安楽死・妊娠(にんしん)中絶、さらには売春まで「ひとの身体」の処遇(しょぐう)にも、「所有」の問題は複雑に絡ん(から )でいる。
 6それは、「所有」の問題が、社会の秩序(ちつじょ)のあり方、個人のアイデンティティーのあり方に基本的なところで結びついているからである。
 7考えてみれば、わたしたちの喜びも哀しみ(かな  )もほとんどここから発生する。何かを失う、だれかを失う……もはやそれらはわたし(たち)のものではない、と。8またこれを取り違え(と ちが )たり、無視したりすると、とたんに「社会」の事件となる。不動産や遺産、これをめぐる抗争(こうそう)はもう果てしがない。トイレで尿(にょう)とともに自分が流れ出てゆくと感じれば、それは病気とされる。
 9「わたし」は、わたしが所有するところのものである。身体、能力、業績、財産、そして家族。わたしたちの社会では、わたしはだれかという問いは、わたしは何を自分のものとして所有しているかという問いにほとんど重なる。
 0近代社会は、そういう所有の境界を示し、その権利をたがいに契約(けいやく)によって承認し、かつ保全しあうという理念の下になりたってきた。しかもその権利は、基本的には個人もしくは法人を単位とし
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た「私的」所有のそれだとされてきた。その擁護(ようご)とその制限とが、自由主義体制と社会主義体制の対立の基本的なかたちをなしてきた。所有の配分ということが社会のさまざまなかたちを決めてきた。
 その所有の制度が、しばらく前から、いろんな場面できしみだしている。災害後のマンションの建て替え(た か )、銀行の救済、知的所有権の権益調整などにもその問題が顔をのぞかしている。公共性をめぐる議論やボランティア活動の活発化、私的所有権の無際限な承認によるさまざまな葛藤(かっとう)と、それにともなう個人生活の閉塞(へいそく)ヘの強い意識から発しているようにみえる。
 所有の意識と制度は、その対象を交換(こうかん)や譲渡(じょうと)が可能なものとみなす。そういう視線が物の世界の細部にまで浸透(しんとう)してゆくなかで、リアルな物のもつ独特の抵抗(ていこう)感を蝕ん(むしば )でしまい、さらにその反照として身体のみならず「わたし」という存在すら取り替え(と か )不能な決定的なものとは感じられなくなってゆく。自分にしかないものとは何かというふうに、所有の根拠(こんきょ)ヘの問いを自分のうちに向ければ向けるほど、内部の空虚(くうきょ)も膨らん(ふく  )でゆくことを、ひとは日々思い知らされてきたはずだ。
 私的所有の制度が個人の存在を保護するものとしてあるのは言うまでもない。が同時に身体ひとつとっても、個人の存在は、誕生から病や老いをへて死にいたるまで、その過程でだれかの庇護(ひご)・介護(かいご)を得てはじめて可能である。「わたしが事物を意のままにすることを可能にしてくれるその当のものが、現実にはわたしの意のままにならない」とは、哲学(てつがく)者G・マルセルが身体をネントウにおいて述べた言葉である。そのとき、従来の所有権の思想が考えてきたように、何かが自分のものであるということは、その何かを意のままにできるということとはたして同じか、そのことがいま、あらためて問われているように思う。
 自分のものでありながら自分の意のままにならないもの……そういう地平で「所有」というものを設定しなおす必要がある。これは家族や学校、企業(きぎょう)や国家と個人のかかわりという、社会関係の基本的なありようを考えなおす長い行程でもあるだろう。
(鷲田(わしだ)清一「キーワードで読む21世紀」より)
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a 長文 9.3週 nnzi2
 1近代以前の伝統社会では、こんにちのような青年期はなかった。母のもとで暮らしていた子供は、ある年齢(ねんれい)に達すると母親のもとから切り離さ(き はな )れて、いくばくかの集団的な訓練をうける。2そして彼ら(かれ )は、子供としては死んで・大人として再生することを象徴(しょうちょう)する、特別の儀式(ぎしき)(通過儀礼(ぎれい))に参加する。この儀式(ぎしき)を終えると、彼ら(かれ )は、そのまま大人として、共同体の成員になる。
 3しかし、近代化とともに、社会は複雑になり、社会の成員となるために身につけねばならない技能・知識は、しだいに膨大(ぼうだい)になってきた。それらを習得するには、長い時間が必要になる。4こうして、「もはや子供ではなく、さりとて未だ大人でもない」過渡期(かとき)が長くなる。あいかわらず親に養育されていて、労働・納税・兵役の義務を免れ(まぬか )ている、という意味で、未だ大人ではない。5しかし、家庭とべつのところで、大人になるための技能・知識を身につけるよう、訓練をうけている、という意味で、もはや子供ではない。こうしたどっちつかずの「境界人」という不安定な時期が、「青年期」なのである。
 6しかし、「社会的な役割を表わす言葉による自己確認」という意味での「アイデンティティ」の確立が、青年期の課題とされるようになったとき、その背景には、出自と役割の分離(ぶんり)という、近代化のもう一つの姿がある。7近代以前の伝統社会では、出自(生まれ)によって、役割は自動的に決まった。小作農の家に生まれれば、自分もそのまま小作農という役割を引き継ぎ(ひ つ )、商人の家に生まれれば、そのまま商人という役割を引き継ぐ(ひ つ )。8このように生まれによって、引き受ける役割も決まる。伝統社会では、そうであった。しかし近代化とともに、職業の選択(せんたく)は個人の自由となり、宗教の選択(せんたく)も、政治的立場の選択(せんたく)も、個人の自由に委ねられるようになる。出自と、引き受けるべき役割が、切り離さ(き はな )れたのである。
 9こうなると青年期は、大人として必要な技能・知識を身につけるだけではすまなくなる。0自分は、どの役割をどう引き受けるのか。社会的な役割を表わす言葉を、どう組み合わせて、自分を定義するのか。農民らしく、それとも職人らしく、……教徒らしく、それとも……、国民らしく、それとも……。どのような「らしさ」を、どのように組み合わせて、「これが自分だ」と名乗って出るのか?
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 青年期とは、こうした選択(せんたく)を迫ら(せま )れる時期となったのである。
 簡単におさらいする。近代化とともに、社会的な役割を習得するための訓練期間が長くなったこと。社会的な役割の選択(せんたく)が、出自を問わず、個人の自由に委ねられるようになったこと。この二つが合わさって、個人の人生に「青年期」という段階が生まれ、「社会的な役割を表わす言葉による自己定義」が、青年期の課題となったのである。
 現代社会は、近代化された社会である。したがって、いま見たような「アイデンティティの確立」が青年期の課題であることに変わりはない。学歴・職業・宗教・国籍(こくせき)・政治的立場のみならず、「男である・女である」という述語も、いまや生物としての性別から切断され、自由に選択(せんたく)される役割を表わすようになる。これもまた、役割と出自の切断という、近代化の延長線上の事象である。
 しかし現代は、近代の延長だけでもない。近代の延長線上にありながら、近代の枠組み(わくぐ )が、確実に、ゆるみ・崩れ(くず )はじめてもいる。それとともに、アイデンティティの問題も、少しずつズレはじめている。近代のアイデンティティ概念(がいねん)は、いっさいから自由な個人、という観念を前提としていた。出自を問われることも(あるいは、すら)なく、自分の意のままに、自由に役割を選択(せんたく)する、自由な個人……。しかし、いまや、そのようにいっさいの絆(きずな)を切って自由になったことが、一人の・取り替え(が )のきかない個人であるということの土台をヒタヒタと侵食(しんしょく)しつつある。

(大庭健『私という迷宮』より)
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 1阻害(そがい)語の代表的なものが、「ムカツク」と「うざい」という二つの言葉です。
 この言葉は、このところ若者を中心にあっという間に定着してしまった感のある言葉です。2「ムカツク」とか「うざい」というのはどういう言葉かというと、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情をすぐに言語化できる、非常に便利な言語的ツールなのです。
 3つまり、自分にとって少しでも異質だと感じたり、これは苦い感じだなと思ったときに、すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座(そくざ)に遮断(しゃだん)してしまう言葉です。しかもそれは他者に対しての攻撃(こうげき)の言葉としても使えます。4「おれはこいつが気に入らない、嫌い(きら )だ」ということを根拠(こんきょ)もなく感情のままに言えるということです。ふつうは、「嫌い(きら )だ」と言うときには、「こういう理由で」という根拠(こんきょ)を添え(そ )なければなりませんが、「うざい」の一言で済んでしまうわけです。5自分にとって異質なものに対して端的(たんてき)な拒否(きょひ)をすぐ表現できる、安易で便利な言語的ツールなわけですね。
 だから人とのつながりを少しずつ丁寧(ていねい)に築こうと思ったとき、これらの言葉はなおさら非常に問題を孕ん(はら )だ言葉になるのです。
 6どんなに身近にいても、他者との関係というものはいつも百パーセントうまくいくものではありません。関係を構築していく中で、常にいろいろな阻害(そがい)要因が発生します。他者は自分とは異質なものなのですから、当然です。7じっくり話せば理解し合えたとしても、すぐには気持ちが伝わらないということもあります。そうした他者との関係の中にある異質性を、ちょっと我慢(がまん)して自分の中になじませる努力を最初から放棄(ほうき)しているわけです。
 8つまり「うざい」とか「ムカツク」と口に出したとたんに、これまで私が幸福を築くうえで大切だよと述べてきた、異質性を受け入れた形での親密性、親しさの形成、親しさを作り上げていくという可能性は、ほとんど根こそぎゼロになってしまうのです。9これではコミュニケーション能力が高まっていくはずがありません。
 もっとも、流行語になるずっと以前から、「むかつく」とか、「うざったい」という言葉はありました。でもあまり日常語として頻繁(ひんぱん)に現れるということはありませんでした。0なぜかといえば、
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現在の状況(じょうきょう)のように、すぐに「ムカツク」とか「うぜー」と表現することを許すような、場の雰囲気(ふんいき)というものがなかったのです。でも今はあります。
「ムカツク」「うざい」が頻繁(ひんぱん)に使われる以前はどうしていたのでしょうか。私たちの世代でも今の若い人たちと同じように、ムカついたり、うざいという感情を持つことはあったはずです。でもそれを社会的に表現するには、それだけの理由、相手に対するそういう拒絶(きょぜつ)を表現してもいいのだという根拠(こんきょ)を与える(あた  )理由がないと言えないという雰囲気(ふんいき)があったわけです。
 それが今は、主観的な心情を簡単に発露(はつろ)できてしまうほど、社会のルール性がゆるくなってしまったのだと思います。昔は、そんな言葉はきちんとした正当性がない限り、言ってはいけないという暗黙(あんもく)の了解(りょうかい)がありました。だから、いくらムカついてもグッと言葉を飲み込ん(の こ )でおくことによって、ある種の耐性(たいせい)がうまく作られていったと思うのです。
 さて、ここで私の娘(むすめ)の話に戻る(もど )のですが、こうした言葉を言わなくなってから人に対する彼女(かのじょ)の態度がハッキリ変わりました。自分が気に入らない状況(じょうきょう)やまるごと肯定(こうてい)してはくれない他者に対してある程度耐性(たいせい)が出来上がったようなのです。それは単に年齢(ねんれい)が上になったからとか、少し大人になったからといった自然成長的な変化ではありません。彼女(かのじょ)の内面で確実に何かが変ったのだと思います。
 友だちとのコミュニケーションを深くじっくり味わうためにも、自分の内面の耐性(たいせい)を鍛える(きた  )ためにも「ムカツク」「うざい」という言葉はやはり使わないほうがいいでしょう。

(菅野(かんの)仁『友だち幻想(げんそう) 人と人の「つながり」を考える』)
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