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 社会学者の森真一によれば、心理主義とは、社会から個人の内面へと人々の関心が移行する傾向けいこう、社会現象を社会や環境かんきょうからではなく個々人の性格や内面から理解しようとする傾向けいこう、および「共感」や相手の「きもち」、あるいは「自己実現」を最重視する傾向けいこうのことである。心理主義は、かならずしも心の科学(心理学や精神医学、認知科学など)が生み出したものとは言えないが、その知識や技法が多くの人に受け入れられることによって生じてきた社会的傾向けいこうである。本来は社会的・政治的であるはずの問題を、その人たち個人の問題へとすり替え  か て、問題を「個人化」することは政治的なプロパガンダ(宣伝)の典型的な手法である。
 職場における精神疾患しっかんの原因が、不健全な組織風土や恒常こうじょう的な勤務過剰かじょうから生じているにもかかわらず、それを特定の個人の特異な病理として扱おあつか うとすることなどは、その一例である。あるいは、理論心理学者のフィリップ・バニアードが『心理学への異議』で批判しているように、心理主義とは、内面化という手段によって暗黙あんもくのうちに人々を統治する方法である。バニアードによれば、意図的であれ、結果的であれ、心理学はこれに加担してきてしまったのである。
 心理主義は、自己への問いかけを不健全なかたちで内面化し、原理的に解答が出ないような議論や不毛な行動へとミスリードする。そこで、心理主義がどのような場面で問題になるのか、その分かりやすい例をあげてみよう。
 たとえば、就職を前にした学生に対して、学校はしばしば性格テストや自己分析ぶんせきを行わせ、その結果から自分にあった職業や職場を探すように勧めるすす  自己の性格に見合った職業を選ぶことが良い職探しだとされているからである。しかし、「自分の性格はコレコレだ」ということから、あるいは、自分はコレコレの能力に優れているということから、ただちに自分の職業を選ぶことができるのだろうか。「外向的」な性格をしている人間は、サービス業の営業・販売はんばい部門に向いている、その部門を担当することを好むなどと言えるだろうか。「内向的」な性格をしているがゆえに人と関わるすべを学びたくて、営業や販売はんばいを選ぶ人がいるかもしれない。内気だが誠実な性格が幸いして顧客こきゃくから信用を得て、営業や販売はんばいが喜びとなってゆく人がいるかもしれないではないか。
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 あるいは、近年の日本では若年層にニート(無就学・無就労状態)が増えてきているというが、その原因を個々人の怠惰たいだややる気のなさといった心理的な性向に求めるような説明方式は、典型的な心理主義である。ほとんどの若者は就職しないのではなく、できないのであり、その原因はおもに企業きぎょうが中高年の雇用こよう維持いじして、新規採用を抑えおさ ていることにある。あるいは、やはり近年では社会の階層化が拡大しているというが、下層階級に位置する人々について、「コミュニケーション・スキルの未熟」や「対人関係における積極性が足りない」といった指摘してきをすることも心理主義的解釈かいしゃくである。多くの人のコミュニケーションがうまくなれば、下層階級がなくなるかどうか考えてみれば、この説明のおかしさが分かるであろう。失業者や下層階級という政治的課題が、怠惰たいだとかコミュニケーションという個々人の心理の問題へとすり替え  か られているのである。
 自分が置かれている環境かんきょう分析ぶんせきすることなく、やみくもに自己を「内省」させること。経験を豊かにさせるのではなく、ともかく内面に注意を向けさせること。これらは心理主義的発想の現れに他ならない。この傾向けいこうにとらわれてしまって、的外れな「自分探し」をしている若者も多いはずである。

(河野哲也てつや「心はからだの外にある『エコロジカルな私』の哲学てつがく」による)
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