1ともかく正しいこと、しかも百パーセント正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって「非行をやめなさい」とか、「シンナーを吸ってはいけません」とか、忠告する。煙草を吸っている人には、「煙草は健康を害します」と言う。2何しろ、誰がいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。後者の場合だとすぐに、「そんな無茶を言ってはいけません」とやられるに決まっているから、まあ、黙って聞いている方が得策ということになる。
3もちろん正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは百パーセント正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。4ところが、そのコーチが「相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ」、と言った時、それは役に立つだろうが、百パーセント正しいかどうかは分からない。敵は裏をかいてくることだってありうる。あれもある、これもある、と考えていては、コーチは何も言えなくなる。5そのなかで、敢えて何かを言うとき、彼は「その時その場の真実」に賭けることになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、彼は責任を取らねばならない。
6このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。7そのような不安や危険に気づかずに、よい加減なことを言えば、悪い結果が出るのも当然である。
ひょっとすると失敗するかもしれぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから忠告も生きてくる。8己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、百パーセント正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その百パーセント正しい忠告を、まず自分自身に適用して見ると良い。9「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
もっとも、自分はその通りにやっているし、効果もあげている、という立派な方も居られるが、そこまで立派な方は人間を通りこし
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