a 長文 8.2週 nnzi2
 ともかく正しいこと、しかも百パーセント正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって「非行をやめなさい」とか、「シンナーを吸ってはいけません」とか、忠告する。煙草たばこを吸っている人には、「煙草たばこは健康を害します」と言う。何しろ、だれがいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。後者の場合だとすぐに、「そんな無茶を言ってはいけません」とやられるに決まっているから、まあ、黙っだま て聞いている方が得策ということになる。
 もちろん正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは百パーセント正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。ところが、そのコーチが「相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ」、と言った時、それは役に立つだろうが、百パーセント正しいかどうかは分からない。敵は裏をかいてくることだってありうる。あれもある、これもある、と考えていては、コーチは何も言えなくなる。そのなかで、敢えてあ  何かを言うとき、かれは「その時その場の真実」に賭けるか  ことになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、かれは責任を取らねばならない。
 このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。そのような不安や危険に気づかずに、よい加減なことを言えば、悪い結果が出るのも当然である。
 ひょっとすると失敗するかもしれぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから忠告も生きてくる。己を賭けるか  こともなく、責任を取る気もなく、百パーセント正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その百パーセント正しい忠告を、まず自分自身に適用して見ると良い。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
 もっとも、自分はその通りにやっているし、効果もあげている、という立派な方も居られるが、そこまで立派な方は人間を通りこし
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て、既にすで ホトケになって居られるのだろう。ホトケに「こころの処方箋しょほうせん」など不要なのはもちろんである。実際、いつどこでもだれにでも通じる正しいことのみを生きていては、「個人」が生きていると言えるのかどうか疑わしい。それは既にすで ホトケになっている。
 百パーセント正しい忠告は、まず役に立たないが、ある時、ある人に役立った忠告が、百パーセント正しいとは言い難いことも、もちろんである。考えてみると当り前のことだが、ひとつの忠告が役立つと、人間は嬉しくうれ  なってそれを普遍ふへん的真理のように思い勝ちである。たとえば、次のようなこともあった。
 ある宗教家が「死にたいと言う人に、本当に死ぬ人はない」と思い込みおも こ 、(こんなことは決して断言できない。「死にたい」と言って自殺する人は沢山たくさんある)「自殺をしたい」と言う人に、それなら自殺の仕方を教えてやろうと詳細しょうさいに死に方を教えてやると、その人はびくついてしまって自殺を断念した。それに味をしめて、その宗教家が次の人にも同じ手を使ったら、その人が言われたとおりの方法で自殺をしてしまったので、自殺の方法を教えた宗教家は、すっかり落ち込んお こ でしまった。
 これは極端きょくたんな例であるが、このようなことは、あんがいよく生じる。これは、一回目のときには、相当に自分を賭けか て言っているのに、二回目になると、前のようにうまくやってやろうと思って、慢心まんしんが生じたり、小手先のことになって、己を賭けるか  度合が軽くなっているために、うまくゆかないのである。前と同じようにやろう、などと言っても、考えてみると人生に、「同じこと」などあるはずがないのだ。もちろん、「昨日も七時に朝食を食べた、今日も同じように……」というレベルでなら、同じことは存在し、朝食のパンを毎朝正しく焼くことも可能であろう。しかし、ある個人の存在が深くかかわってくるとき、そこには同じことは起こらなくなってくるし、まさにそのときに、その人にのみ通じる正しいことが要求され、それは、一般いっぱんに人が考えつく、百パーセント正しいこととは、まったく内容を異にするのである。………
 ここに述べられたことは、百パーセント正しいことである、などと読者はまさか思われないだろうが、念のために申しそえておく。
(河合隼雄はやお「心の処方箋しょほうせん」の文章による)
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