1高校進学率が六〇%を超えるのが昭和三六年。昭和四九年には九〇%を超える。大学進学率が二〇%を超えるのが昭和四四年。昭和四八年には三二%になる。大衆受験社会は昭和四〇年代後半にはじまった。2週刊誌が大学合格者高校別一覧や受験関係の記事を頻繁に登場させるようになるのが昭和四〇年代である。
この間の進学率の上昇によって親は子弟を少しでもよりよい学校に入学させようとする。3教師も進学先のない子どもがでないようにしなければならないという教育的配慮を働かせる。となると、入れる学校を確実にみきわめねばならない。生徒の相対的学力査定――偏差値が必要になる。4ところが、確実に入学できる学校を探すためにいったん偏差値がつかわれると、それまで曖昧だった学校ランクが明確になり、固定化する。教師が指導する学校には必ず入学できることになるが、その反面、それまで曖昧だった学校序列が偏差値によって、明確な学校ランクとなる。
5こうして昭和四〇年代後半以後に「輪切り」といわれる学校の総序列化が急速に進んだ。職業高校が普通高校の序列の下に組み込まれはじめるのもこのころからである。昭和五〇年には「高校入試に跋扈する偏差値」のような偏差値バッシング記事が登場するようになる。
6学校が総序列化すると、受験競争への焚きつけは、学歴社会や立身出世物語などの外部に帰属させることなく、受験社会内部で自己生産することができるようになる。学校ランクや偏差値ランクがそれ自体として競争の報酬になり意味の根拠となってしまうからである。7偏差値五十一と五十六の僅差の学校ランクが将来の昇進や賃金に持ち越されるわけではない。にもかかわらず、偏差値やわずかな学校ランクが受験競争の誘因になってしまう。
8しかも、すべての学校がランク化つまり総序列化状態におかれれば、事態は一部の人々の間のエリート校をめぐっての競争にとどまらなくなる。平均学力の生徒も、相対的上位校をめざしての競争に焚きつけられる。
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