1言語記号を用いるという人間独自の能力は、あたかも翼をはばたいて空中を飛ぶ鳥類の能力と同じように、人間の住む環境世界のイメージを他の動物のそれとは比べようもないほど拡大することになる。2現在生存しているイヌやネコは、三百年以前の江戸の街のイメージ、ましてや五万年以前の原人がどのような生活をしていたかのイメージをもつことができない。しかし、人間にはそれができる。3そのイメージは、時代や場所や人によって異なるかもしれないが、どのようなばあいでもイメージそのものはもつことができる。これは人間の知覚での意識、すなわち眼や耳のような感覚器官で知覚し分かっている環境の風景が、4現に知覚されているものの意識から、現に知覚されていないが、かつて一度知覚されたものの記憶、想像による過去や未来のイメージの意識にまで――言語活動を通じての――拡大延長された例である。
5このような風景の意識の拡張に基づいて、人間の心の他の働き、例えば感情や情緒の働きも拡張される。人間でも他の動物でも、自分が手に入れた食物が他の動物に奪われたときに生じるであろう感情は同じであり、種の維持のために行なう性行動の瞬間の感情も同じようなものであろう。6しかし日々の食物は一応不足なく食べてはいるが、社会が経済不況になり雇用が悪化し失業の恐れからくる生活の不安とか、人間の生態系の悪化に伴って将来起こるであろう人類の滅亡という観念が、7ある人びとに与えた未来へのユートピアを奪われた希望のない終末への不安のような複雑な感情、あるいは日本の文学的な表現のある様式に伴う「わび」とか「さび」といった情緒は、言語表現の能力をもたない他の動物には起こりようのない感情情緒の人間独特な言語による拡張であろう。
8また人間以外の動物でも、例えば必要とする食物が多いか少ないかの違いは判断でき、獲物を追いかけて行動するとき、その獲物がどのように行動するかを前もって推理することはできるだろう。9――しかし、この多いか少ないかを数記号(言語記号と同じである)を用いて四倍多いとか、一・五倍多い、などという算数的計算はできないし、また推論を現に眼の前で起こっている出来事のなかで行なうことから離れて一般的、形式的に表現することはできない。0
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