1クリントンの税制案はお決まりの言いまわしで修飾されていた。いわく、「金持ちは富みすぎ、貧しい人は貧しすぎる」、「彼らは不相応な報酬を得ている」、「それこそ公平というもの」云々。
政治家がこのような言いまわしを使うのは、それを望む選挙民がいるからにほかならない。2おそらく、政治家にそのような言い方をしてもらうことで、隣人の働きをあてにするうしろめたさが少しは軽くなるからではないか。自分が貪欲な人間と見られるよりは、隣人はしぼり取られて当然と見せかけておくほうが、たしかに気は楽だ。
3ここでのキーワードは「見せかけ」である。つまり、所得再分配といえば聞こえはいいが、実際には、そのようなレトリックを本気で信じる人などいないということである。所得再分配は、ときにより、ある人たちをごまかすためのレトリックとして使うことはできる。4人によっては、それでいい場合があるからだ。しかし、それをいついかなる場合でも信じるという人はいないし、ときにそれでよしとする人も、じつは心底から信じているわけではない。本気で信じるには、所得再分配はあまりにもおかしな話なのだ。
5なぜここまで断言できるかというと娘を持った経験からである。娘を公園で遊ばせていて、私はなるほどと思った。公園では親たちが自分の子どもにいろいろなことを言って聞かせている。6だが、ほかの子がおもちゃをたくさん持っているからといって、それを取り上げて遊びなさいと言っているのを聞いたことはない。一人の子どもがほかの子どもたちよりおもちゃをたくさん持っていたら、「政府」をつくって、それを取り上げることを投票で決めようなどと言った親もいない。
7もちろん、親は子どもにたいして、譲りあいが大切なことを言って聞かせ、利己的な行動は恥ずかしいという感覚を持たせようとする。8ほかの子が自分勝手なことをしたら、うちの子も腕ずくでというのは論外で、普通はなんらかの対応をするように教える。たとえば、おだてる、交渉をする、仲間はずれにするのもよい。だが、どう間違っても盗んではいけない、と。9まして、あなたの盗みの肩を持つような道徳的権威をそなえた合法政府といったもの
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