1われわれが日常しばしば経験する事実として、次のようなものがある。われわれが本を貸した場合に、借りた人が用ずみの後直ちに自発的に返してこないことが少なくない。それは、どのような意識によって裏づけられているのであろうか。2その意識は、次の事実から推測され得るように思われる。すなわち、そのような場合に貸した人が本の返還を要求するしかたが、はなはだ特色的である。3私は何回か外人から本を借りたことがあるが、返還がおくれると、貸した人(外人)は、きわめて「事務的」に、「先日あなたに貸した何々の本は、もし用ずみなら返してもらいたい」と言ってくる。4われわれ日本人――少なくとも、私の知っている範囲の、私と同じくらいの年齢の人々――は、こういうふうに言うことに抵抗を感じ、若干悪びれて口実をもうけ言いわけをして(たとえば、「僕の友達であの本を見たいという者があるのだが。……」というふうに)でないと、返してもらいたいとは言えない。5あたかも貸主のこのような行動のしかたに対応するかのごとく、借主は、用ずみの後に直ちに返さないことについて何ら罪の意識をもたないのが普通であり、むしろ、返還の要求があるまで返さないでもっているのが当たりまえででもあるかのごとくであり、むしろ、返還の要求をうけても、悪びれることもなく、また言いわけをすることもないのが普通のようである。6私自身、本を貸してそのまま返してもらえないままになっている例は決して少なくない。極端な例としては、こんな経験がある。私は学生から或る本を貸してくれとたのまれ、快く貸したところ、二年ばかりたっても返してくれないので催促した。7彼はその本の各所にペンや鉛筆ですじをひいたままで、何の悪びれるところもなく返してきたのである。8……私の所有物である本を他人に貸したときは、私の現実支配の事実が終ったことによって、その本に対する私の所有権は弱いものになり、これに対応してその反面で、借主があらたにはじめた現実支配の事実は、私の所有権から独立した一種の正当性をもちはじめ、だんだん所有権に近いものになってくるように思われるのである。
9このような例は無数につづくが、最近までも減ることなく新聞をにぎわしている問題としていわゆる役得という現象がある。役得というのは、或る地位についていることによって得られる利益で、
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