1今日ほとんどの人々は、民主主義と市場経済、すなわち資本主義のことを、まるで兄弟であるかのように最も自然なぺアとして語っている。2ほぼ同時に産業資本主義と代表制民主主義が世界の隅々まで広がったために、この経済と政治の二つのシステムは完全に調和して共存している、という錯覚を作り出してしまったのかもしれない。
3しかし、蓋をあけて中を見てみれば、民主主義と資本主義の中核をなす価値観が、それぞれ非常に異なることは明らかではないか。民主主義は極端な平等を肯定している。4つまり、いかに頭が良くても悪くても、勤勉でも怠慢でも、博識でも無知でも、一人一票なのである。社会への貢献に関係なく、選挙の日には、だれもが同じ「一票」をもつのである。5歴史的に、この極端な平等のシステムを擁護する支配者はほとんどいなかった。今われわれはあらゆる人に一票を与えている。6知性、富、あるいは社会における影響力とは無関係にである。そのようなシステムの恩恵について、かつてのジュリアス・シーザーを説得しようとしたら、どんなことになるだろう。
7一方、資本主義は、極端な不平等を肯定している。経済収益の差はインセンティブの構造を作り出し、それによってだれもが働き続け、すぐ先の未来に投資し続ける。不平等は、健全な資本主義に必要な競争をあおる。8市場経済では、富はさらに富をもたらし、貧困はさらに貧困をもたらす。なぜなら、人的物的資産への投資――故に将来的な所得――は、現在の所得によって左右されるからだ。資本主義そのものには、平等化のメカニズムは組み込まれていない。9経済的適者は経済的不能者を絶滅させると考えられている。実は、「適者生存」という言葉は、一九世紀の経済学者ハーバード・スぺンサーが作り出し、チャールズ・ダーウィンが進化論を説明するために借用したものだ。0一九世紀の資本主義についての厳しい見解では、経済的飢餓は、この経済システムにおいて積極的な役割を果たしていた。資本主義は実は民主主義など必要ないのであり、それは一九世紀のアメリカに見られたように、奴隷制と容易に共存することができるのである。
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