1「極東の島国日本」などとしばしばいわれるように、日本を孤立した「島国」とする見方は、おそらく現代日本人の圧倒的多数の常識であり、これまでの多くの日本人論、日本文化論もそれを大前提として論じられてきたといってよい。
2そして日本の「島国」であることが強調される場合、そこには対立する二つの文脈があったと思われる。3その一つは、とくに敗戦後、日本の国際社会への復帰に当って、それまでの独善的、閉鎖的な日本人のあり方に対する反省が強く求められたさいなどに強調された文脈で、「島国根性の打破」「島国性の克服」がこの中で声高に叫ばれたのであり、現在もなお同じ方向でこうした主張が展開されることが多い。
4これに対し、他の一つとして、「島国」であることに日本人、日本文化の独自性、均質性の基盤を求める文脈があり、この見方は海によって周辺の世界から隔てられ、また海に守られることによって他民族による軍事的な侵略をまぬかれ、5政治的な支配を受けることなく周辺から技術、文化を吸収、「島国」の中でそれを熟成してきたところに、日本文化の特質を見出そうとする。それは日本が「島国」であることに積極的な意味を求めようとする見方で、現在の日本文化論の中で、こうした立場に立つ見解は多い。
6この二つの見方は、まったく相反する方向から日本をとらえており、前者は「近代化論」につながる志向を持つのに対し、後者は日本文化の独自性を強調し、ときに天皇が長期にわたって日本列島の国家に関わりつづけてきたことを賛美する方向に進む場合も見られる。7とはいえ、この両者はともに共通した「日本は島国」という認識の上に立っている。そしてたしかに現在の日本国が島によって構成された国―「島国」であることはまぎれもない事実であり、この点についてはあたかも異論の入る余地のまったくない「常識」であるかの如くに見えるのである。
8しかし一歩突き放してこの「常識」を見直してみると、それがしばしばきわめて底の浅い、偏った見方であることはただちに明白になる。
9そもそも日本国が現在の島々から成り立つようになったのは敗戦後のことで、中国東北、朝鮮半島を植民地としていた「大日本帝国」の時代はそうでなかったという自明な事実――それが
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