a 長文 11.3週 nnzu2
 ガイドブック等で、見るべき価値があるものとして紹介しょうかいされたものを読んでいたのに、実際自分でその場所に出向いてみると、「裏切られた」と失望することもある。だがその様に失望することが何を意味するかを考えると、「既知きち感」に陥るおちい ことなく、自分自身の解釈かいしゃくが加わったと考えられる。これは少なくとも、自分自身が介在かいざいできたことを意味している。また事前にある程度の情報があったとしても、それ程心動かされないままに出向いて、実際自分の目で見回してみると、予想外に心に響いひび た事があれば、この場合も「既知きち感」に陥らおちい ずに、自分自身が介在かいざいして得られた発見であることは間違いまちが ない。
 あくまでも情報で得られた対象に関心を寄せ、目的と考えたものだけに焦点しょうてんを当てる、つまり極小点へ接近し、再確認することだけで納得する様な状態から、我々は逃れるのが  方法がないものなのだろうか。
 それは周囲を見渡すみわた 余裕よゆうを、積極的に引き出せるかに掛かっか  ている。というのも、その余裕よゆうを引き出すことができれば、フッとかたの力を抜きぬ 、周囲に目を向けて見られるようになるからだ。そして大切なのは、点へ接近することだけで終わらず、その点に留意しながらも、その点を少しでも広げることを意識することである。
 目的と考えた、その点に辿りたど 着くまでの間に何もないはずがなく、そこで何か拾おうとすることは、必然的に点的思考から線的思考へと移行する。つまり点的思考とは、たとえれば、目的地に辿りたど 着くまで、乗り物の中で居眠りいねむ して、着いた時にようやく目を覚まし、目的地だけを見てしまうことだ。線的思考とは、たとえ目的地に向かって乗り物に乗っていたとしても、その間居眠りいねむ することもなく、周囲の風景に目を凝らしこ  ながら乗っている状態である。当然、線的思考では乗り物を利用しなくても、徒歩でじっくり周囲に眼差しを注ぎながら目的地に向かうことも含まふく れる。
 また面的思考とは、点的思考、線的思考よりも、もっと広範囲こうはんいに眼差しを注ぐことである。点的思考、線的思考における点、線
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は、目的とする範囲はんいが限定されたものだが、面的思考になれば、目的地そのものが限定されない、つまりどこも目的地ではなくなるのだ。そのことを逆に言えば、周囲のどこでもが目的地になることだ。さらに上空に広がる大空間へといった、空間的思考になればもっと広がり、三次元空間において、きっと予想を越えるこ  発見が舞い降りま お てくる、言わば予感に満ちた状態を手に入れることができるだろう。
 既知きち感」は空間的に捉えとら た、点的思考、線的思考、面的思考、更にさら 空間的思考への関心に留まるものではない。新しく創作することにおいても「既知きち感」を持って臨んでいるか、臨んでいないかが、創造することを考える上で重要になる。
 新しく創作される時に、もし創作者が「既知きち感」を持って創作の方向性を決めていたとしたら、その時、創造することから大きく後退してしまうのではないだろうか。つまりその行為こういは、事前に見たり知識で得られたものに依っよ てイメージされたものがあり、そこに向かおうとすることに他ならず、先人達が成し遂げな と た形象や形態、あるいは考え方や論考等に近付こうとすることが、第一義となるからだ。確かに行為こういそのものに依っよ て何がしかが生み出されたとしても、創造性に関して言えば何も新しいことが生み出されないことになる。それはなぞりにしか過ぎない、あるいは模倣もほうでしかないと見なされる運命を辿るたど 
 もしそれ等を一旦いったんわきに置くことができずに、創作する方向性さえも同じ、つまり「既知きち感」を持ちつつ、なぞりや模倣もほうの域で終わるものになるなら、それは創作されたものとは決して見なされないのだ。
 もし「既知きち感」という手立てに対する意識から離れるはな  ことができれば、初めてその人にとって未知の世界が立ち現われたことを意味する。創造することとは、やはり未知の世界の中に自分が飛び込みと こ 、未知の世界の中から自分自身が必要な因子を拾い上げ、構築、あるいは再構築する作業であることを忘れてはならないのだ。

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長文 11.3週 nnzu2のつづき
 その意味において「既知きち感」は、事前に得られた情報、既にすで 世に出た作品等に頼るたよ ことなく、それぞれの局面において、いかに自分自身で発見できるかを問う、自分自身だけに与えあた られたリトマス紙の様な、大切な判断の手立てと言えるのだろう。

矢萩喜従「多中心の思考」より)
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