1何歳から人は大人と呼ばれるのか、大人とは何か。そういう議論は繰り返し起きるようだ。従来なら「成人すれば大人」と考えればよかったのだから話は簡単だが、最近はその基準が曖昧になってきている。2精神科の臨床の現場でも、拒食症や家庭内暴力といった思春期の病理に基づく問題を三十代、四十代になってから呈するケースが目に付く。
3いっぽう、十二、三歳でしっかりしたプロ意識を持ったタレントやスポーツ選手もいれば、「高校を出ればおばさん」と言っている少女もいる。早々に「私なんてこんなもの」と自分に見切りをつけてしまう、若者の『早じまい感』を問題視する精神科医もいる。
4一体、誰が大人で誰が若者なのか。その区別はとてもむずかしい。
先にあげた「思春期の病理を抱える大人」には、親や周囲との関係の中で激しい自己否定に陥っているという共通点がある。5「私は親に好かれていなかった」「自分なんて生きていても仕方ない」と、彼らはつぶやく。一方、「大人顔負けのプロ意識を持った子供」は、自分の才能や使命をしっかり自覚している。「もうおばさんだ」という十代も、ある意味、「若くなければ自分には価値がない」と自覚しているのかもしれない。
6そう考えると、健全な大人とは「今の自分は何をすべきか」を知っている人たち、やや歪んだ大人とは「もう何もできない」と知ってしまっている人たち、そして大人とは言えない人たちとは「何ができるか分からない、誰か教えて欲しい」と他人に依存している人たち、と定義できるかもしれない。7もちろんその場合、年齢は関係ない。
もちろん、子供や若者はまだ自分に何ができるか、分からなくて当たり前だ。何もすべての若者が、幼い頃から迷わずに自分の道を進む必要はない。8「何ができるだろう」と試行錯誤したり、ときには「誰か教えて」と周りの大人にすがったり、それは若者に与えられた特権であるはずだ。
9ところが今は、その上の世代の大人たちが「自分で自分の人生を自由に決められる時代」の特典をフル活用し過ぎて、いつまでも
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