a 長文 12.4週 nnzu2
 この国の人々ははるかな昔から自分のことを「わ」と呼んできた。ただ、それを書き記す文字がなかった。中国から漢字が伝わる以前のことである。これは今でも「われ」「わたくし」「わたし」という形で残っている。
 日本がやがて中国の王朝と交渉こうしょうするようになったとき、日本の使節団は自分たちのことを「わ」と呼んだのだろう。中国側の官僚かんりょうたちはこれをおもしろがって「わ」にという漢字を当てて、この国を倭国わのくに、この国の人を倭人わじんと呼ぶようになった。という字は人に委ねると書く。身を低くして相手に従うという意味である。中国文明を築いた漢民族は黄河の流れる世界の中心に住む自分たちこそ、もっとも優れた民族であるという誇りほこ をもっていた。そこで周辺の国々をみな蔑んさげす でその国名に侮蔑ぶべつ的な漢字を当てた。倭国わのくに倭人わじんもそうした蔑称べっしょうである。
 ところが、あるとき、この国の誰かだれ 倭国わのくにを和と改めた。この人物が天才的であったのは和はと同じ音でありながら、とはまったく違うちが 誇りほこ 高い意味の漢字だからである。和の左側のは軍門に立てる標識、右の口は誓いちか の文書を入れる箱をさしている。つまり、和は敵対するもの同士が和議を結ぶという意味になる。
 この人物が天才的であったもうひとつの理由は、和という字はこの国の文化の特徴とくちょうをたった一字で表わしているからである。というのは、この国の生活と文化の根底には互いにたが  対立するもの、相容れないものを和解させ、調和させる力が働いているのだが、この字はその力を暗示しているからである。
 和という言葉は本来、この互いにたが  対立するものを調和させるという意味だった。そして、明治時代に国をあげて近代化という名の西洋化にとりかかるまで、長い間、この意味で使われてきた。和という字を「やわらぐ」「なごむ」「あえる」とも読むのはそのためである。「やわらぐ」とは互いたが の敵対心が解消すること。「なごむ」とは対立するもの同士が仲良くなること。「あえる」とは白和え、胡麻和えごまあ のように料理でよく使う言葉だが、異なるものを混ぜ合わせてなじませること。
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 この国の歌を昔から和歌というのは、もともとは中国の漢詩に対して、和の国の歌、和の歌、自分たちの歌という意味だった。しかし、和歌の和は自分という古い意味を響かせひび  ながらも、そこには対立するものを和ませるというもっと大きな別の意味をもっていた。九〇〇年代の初めに編纂へんさんされた『古今和歌集』の序に、編纂へんさんの中心にいた紀貫之きのつらゆきは次のように書いている。

 やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きしげ ものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴くうぐいす、水に住むかえるの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神きしんをもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、たけき武士の心をも慰むなぐさ るは歌なり。

 「男女の中をも和らげ」というところに和の字が見えるが、それだけが和なのではない。「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神きしんをもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、たけき武士の心をも慰むなぐさ る」というくだり全体が和歌の和の働きである。和とは天地、鬼神きしん、男女、武士のように互いにたが  異質なもの、対立するもの、荒々しいあらあら  ものを「力をも入れずして……動かし、……あはれと思はせ、……和らげ、……慰むなぐさ る」、こうした働きをいうのである。これが本来の和の姿だった。

 (長谷川『和の思想』中公新書、二〇〇九年、四〇〜四六ページ、抜粋ばっすい・一部改変)
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