1この国の人々ははるかな昔から自分のことを「わ」と呼んできた。ただ、それを書き記す文字がなかった。中国から漢字が伝わる以前のことである。これは今でも「われ」「わたくし」「わたし」という形で残っている。
2日本がやがて中国の王朝と交渉するようになったとき、日本の使節団は自分たちのことを「わ」と呼んだのだろう。中国側の官僚たちはこれをおもしろがって「わ」に倭という漢字を当てて、この国を倭国、この国の人を倭人と呼ぶようになった。3倭という字は人に委ねると書く。身を低くして相手に従うという意味である。中国文明を築いた漢民族は黄河の流れる世界の中心に住む自分たちこそ、もっとも優れた民族であるという誇りをもっていた。そこで周辺の国々をみな蔑んでその国名に侮蔑的な漢字を当てた。4倭国も倭人もそうした蔑称である。
ところが、あるとき、この国の誰かが倭国の倭を和と改めた。この人物が天才的であったのは和は倭と同じ音でありながら、倭とはまったく違う誇り高い意味の漢字だからである。5和の左側の禾は軍門に立てる標識、右の口は誓いの文書を入れる箱をさしている。つまり、和は敵対するもの同士が和議を結ぶという意味になる。
この人物が天才的であったもうひとつの理由は、和という字はこの国の文化の特徴をたった一字で表わしているからである。6というのは、この国の生活と文化の根底には互いに対立するもの、相容れないものを和解させ、調和させる力が働いているのだが、この字はその力を暗示しているからである。
和という言葉は本来、この互いに対立するものを調和させるという意味だった。7そして、明治時代に国をあげて近代化という名の西洋化にとりかかるまで、長い間、この意味で使われてきた。和という字を「やわらぐ」「なごむ」「あえる」とも読むのはそのためである。「やわらぐ」とは互いの敵対心が解消すること。8「なごむ」とは対立するもの同士が仲良くなること。「あえる」とは白和え、胡麻和えのように料理でよく使う言葉だが、異なるものを混ぜ合わせてなじませること。
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