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 国際感覚があるということは、ただ流暢りゅうちょうに外国語を話し外国人とそつなくつきあえるというような単純なことではありません。また国際感覚を身につけるということは、これさえ手に入れれば大丈夫だいじょうぶというような一本の「魔法まほうつえ」を見つけることでもありません。国際感覚という言葉は、国際化という言葉がそうであるように、そのとらえ方が人によってまちまちだからです。
 ただ、いま私たちにとって大切だと思う問題は、たとえばそれが人権であれ、平和であれ、環境かんきょうであれ、それについて掘り下げほ さ て考えようとすれば、たいていの場合に、国際的な側面とかかわりあいをもってきます。したがって、「国際感覚ってなんだろう」と考えることは、来たるべき二十一世紀に生きる私たちの生き方について考えることでもあるのです。それは、現代社会の中で、一人の人間が自分の生き方を貫こつらぬ うとしたらいったいどういう資質が求められるのか、と問うことでもあります。
 だから「国際感覚をもってる人って、どんな人でしょうね」とたずねられたとしたら、こう答えることだけはできそうです。「そうですね。あなたがたった一つの正答を期待しているとしたら、それを示すことは私にはできません。でも、つぎのような最大公約数の回答を出すことならできるように思います」と。
 国際感覚を身につけている人というのは、たとえばつぎのような人のことです。「自分なりの意見をきちんともっている人」「それを正確に人に伝えることのできる人」「つねにステレオタイプ(型どおり)の発想をさけようと努めている人」「海外のことだけでなく、日本についてもよく知ろうとしている人」そして「異文化と正面からむきあおうと心がけている人」などです。
 ただ、私たち日本人の場合、どうしてもまず日本という国のわくを考え、その枠組みわくぐ の中で、「世界に誇れるほこ  日本人の資質とは何か」と考えることになってしまいがちです。しかし、現代では、自分の国の国益さえ守れればそれでよい、という時代ではなくなってきています。そのことは、グローバル・イシュー(地球的課題)が広く認識されるようになったことにもあらわれています。
 たとえば、世界の自然環境かんきょうを守ることと、ある国の経済的利益が衝突しょうとつするということは、いくらでも起こりうることです。そのときに私たちが、自分の国の国益だけにとらわれずに、より普遍ふへん的な視点から発想できるかどうかが問題になってきます。一つの時
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代を共に生きるということは、その時代が抱えるかか  課題を、世界の人びとと共有することでもあるからです。
 交通、通信手段の発達によって、実質的に地球は狭くせま なってきました。また、全世界が直面している困難な事態について、国境を越えこ て地球規模で協力しあうことが必要な時代になっています。いま時代は、国際化時代から地球時代へと、移り変わりつつあります。この変化に対応して、国家の枠組みわくぐ にそった国際感覚だけでなく、より広い、地球市民としての意識が要請ようせいされるようになってきました。
 この地球市民という言葉は、まだまだ私たちの耳にはなじまない言葉です。そもそも、私たち一人ひとりは、家族の一員であり、学校の生徒であり、クラブ活動のメンバーであり、自治体の住民であり、国家の国民であるという具合に、色々なレベルで帰属する集団や団体をもっています。それはあなたが同心円の中心に立って、そのまわりに大きな円がしだいに広がっていく様子を想像してもらうとわかりやすいかもしれません。地球市民というものは、そのいちばん広い同心円だと見ることもできます。
 地球市民は、地球上で暮らすすべての人びとが人間らしく生きることをたがいに保障しあうという理念によって結びつくべきものでしょう。「私が平和や人権を求めるように、地球上に暮らすほかのすべての人も、同じ願いをもつ権利がある」という考え方です。その意味で、地球市民であるということは、人間であることと同様に地球上に生きる私たち一人ひとりを包みこむ、もっとも普遍ふへん的な定義だといえるかもしれません。

渡部わたなべじゅんの文章による)
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