a 長文 6.4週 ra
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 ある夏の、ひどくむし暑い日のことだった。上の兄は学校へ行き、私と下の兄とだけが残されて、退屈たいくつしていた。二人はただ目的もなく大堰おおせぎばたの方へ歩いて行った。大堰おおぜきばたの水は流れが止まったように淀んよど でいて、岸には雑草がしげり、日ざしはじりじりと照りつけていた。そのとき兄は水面に近く、ふなを見つけたのだった。
 ふなは水温が上がり過ぎたために、苦しがって水面に浮かびう  、口をあけて喘いあえ でいた。それが意外にも五ひき、六ぴき……十ぴきもいた。私たちは興奮した。兄は流れの岸にうずくまり、手近なところに浮いう ている小鮒こぶなをそっと両手で追ってみた。ふな逃げるに  だけの気力もなく、黙っだま て兄の手に捕らえと  られた。それからが大変だった。水から上げたら魚は死んでしまう。ふなを水の中で捕らえと  たまま、兄はどうすることもできなかった。兄は顔だけをふり向けて、
「おい、うちへ帰って何か入れ物を持って来い。あきかんでも何でもいい。大急ぎだぞ」と言った。
 私は柔順じゅうじゅんな弟だった。いつも兄たちの命令には絶対服従だった。私は言いつけに従っていきなり走り出した。私自身、生きたふなを持って帰りたくもあった。だが、そこから私の家までは二百メートル以上もあった。私は日盛りの、人通りの絶えた乾いかわ た道を小さな下駄げたを鳴らして夢中になって走った。あせを流し、暑さに喘ぎあえ ながら家まで帰りつくと、あきかんを一つ見つけ出して、また同じ道を引き返した。その途中とちゅうで、石につまずいて転び、ひざをすりむいてしまった。私は痛みに耐えた 、泣きながら走った。それほど私は柔順じゅうじゅんな弟だった。そして兄を怨んうら でいた。川岸まで駆けか 戻っもど てみると、兄はまだ元のところにうずくまって、一ひき小鮒こぶなを両手でつかまえていた。兄は家に帰ってから、(おれがったふなだ)と言った。私はそれが不満だった。
 ふなよりも、私はトンボが好きだった。一番大型のオニヤンマは大型という魅力みりょくはあるが、黒と黄色のだんだらしまで下品だった。つか
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まえたことのうれしさはあるが、少年の心を陶酔とうすいにさそう「美」がなかった。そこへいくと、ギンヤンマという、あの中型のヤンマの美しさは私をうっとりさせた。私はほとんどヤンマを尊敬していた。
 夕方になると、時として私の家の前の道路に、無数のヤンマが飛んでくることがあった。おびただしい数だった。ところがその時刻がちょうど私の家の夕食だった。夕飯を食べながら、私は気が気ではない。はしを投げ出すなり土間に飛び降り、下駄げた突っつ かけると同時に竹竿たけざおをつかんで駆け出すか だ 。ヤンマの群れの中で、やみくもに竹竿たけざおをふりまわすと、羽が切れたり、が切れたりして落ちてくる。時として全身無傷のヤンマを取ることがあった。これは私たちの宝物だった。魚籠びくに入れて、布でふたをして、持って帰る。小部屋を閉め切って、ヤンマを飛ばしてみる。その飛び方の優雅ゆうがさに私は見惚れるみほ  のだった。

(石川達三「私ひとりの私」)
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長文 6.4週 raのつづき
 一体、人間の頭の良さの特徴とくちょうとは何か。多くの研究者が、人間の知能の本質はその社会性にあると考えている。養老孟司たけし先生は、「教養とは他人の心がわかることである」としばしば言われる。他人と心を通じ合わせ、協力して社会をつくり上げることが、人間の頭の良さの本質である。
 頭の良さが社会性と深く関わるということを、意外に感じる人もいるかもしれない。学校で勉強ができる子どもはなんとなくツンと澄ましす  ていて、あまりできない子のほうがかえって他人と温かく接することができる。一般いっぱんにはそのような思い込みおも こ があるかもしれないが、現代の脳科学では、頭の良さとはすなわち他人とうまくやっていけることであると考えるのだ。
 他人の心を読み取る能力を、専門用語では「心の理論」という。コンピュータは、いくら計算が速くできたとしても、心の理論を持たない。他人の心を読み取り、初めて会う人ともいきいきとしたやりとりができるといった「コミュニケーション」の能力においては、人間はコンピュータよりもまだまだかに優れているのである。
 人間の社会的知性を、他の動物に比べてみると、どうだろうか。人間以外にも、社会をつくる動物はいる。アリは高度に発達した分業体制を持つし、さるの群れの中には社会的地位のようなものがある。しかし、これらの動物に比べてみても、人間の社会的知性が特に優れていることは疑いない。
 現在までに得られている知見を総合すると、厳密な意味で他人の心を読み取ることができるのは、全ての動物の中で人間だけであるとされる。「惻隠そくいんの情」「あうんの呼吸」「本音と建前」といった言葉に表れているように、相手の考えが身振りみぶ や周囲の状況じょうきょうからは容易に判断できない場合でも、目には見えない相手の心を読み取る能力に大変優れている。
 そのような能力は、動物にもあると考える人もいるかもしれない。ペットを飼っている人は、うちのポチ、うちのミイちゃんは私の心がわかるのよ、と反論したくなるかもしれない。
 犬は、人間の行動から意図を察知する能力に長けている。飼い主が見た方向に自分も目を向けたり、手の動きが示すほうに走ったりといった行動は、知能が発達しているとされるチンパンジーよりもむしろ敏捷びんしょうで反応が良い。
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 どうして、犬は人間の意図を読み取れるようになったのか。人類の歴史の中で、犬がペットとして飼われるようになった経緯けいいは明確ではないが、犬と人間がお互い たが の存在を「許容」するようになったことが一つのかぎであったと考えられている。
 野生の動物は、お互い たが に対する警戒けいかい心に満ちている。異種の動物はもちろん、同種の仲間にさえ容易に警戒けいかいを解こうとはしない。目を合わせれば闘ったたか たり、逃げだしに   たりすることが普通ふつうである。そのような状況じょうきょうでは、相手の振る舞いふ ま に合わせて自分が協力したり、微妙びみょうなニュアンスを読み取ったりといった認知能力は発達しない。
 英語に「犬は人間の最良の友」という表現がある。ある時期から、犬と人間がお互い たが の存在を許容し、リラックスしたままで「一緒いっしょにいること」が可能になったことが、犬と人間の「社会的な関係性」が発達する上で大切なきっかけとなったと、科学者たちは考えているのだ。
 犬と人間だけではない。人間同士の社会的知性の進化においても、お互い たが の存在を受け入れ、共生することが本質的に重要であったとされる。
 異質な他者を受け入れ、共生することが「頭が良くなる」ことにつながる。最先端さいせんたんの科学の理論が描き出しえが だ たそのようなシナリオには、世知辛くせちがら なっていく現代を生きる人間が耳を傾けるかたむ  べきメッセージが潜んひそ でいる。
 一緒いっしょに仲良くいることで頭が良くなる。私たち人間は、そのようにして「万物の霊長れいちょう」になったのである。

茂木もぎ健一郎けんいちろう「それでも脳はたくらむ」)
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