1イロリの社交は、家族結合の社交であった。一家団欒ということばは言うまでもなく家族がおなじ火をかこんでいることを指した。ひとつの火を通じて心がかよいあう。そういう不思議な力を火はもっていた。家族だけではない。2客人もまた、おなじ火をかこむことで、他人ではなくなる。火は人間を近づけるのである。若者たちが夏の山や海で火を燃やしてひらくファイヤー・ストームなども、まさしく火による人間結合の現代的なあらわれのひとつであろう。
3イロリの社交には、秩序があった。よく知られているように、イロリの四辺には誰がどうすわるかについての約束事がある。土間に面していちばん奥の辺は横座である。そこには戸主以外の人間がすわってはいけない。4横座からみて左がわの辺にすわるのは主婦によって代表される家の女たちである。この座席はカカ座などと呼ばれる。そして客人の席、すなわち客座は横座からみて右、横座の正面は使用人や場合によっては嫁の座る下座――そんなふうに席の割りふりがきまっていたのである。5こんにち、比喩的に、たとえば「主婦の座」というようなことばが使われるのは、このようなイロリの座の割りつけから延長されたものだと考えてよいだろう。
それぞれの座がきめられ、冬の夜などイロリをかこんで世間話がつづく。6火を共有しているという事実が、そして、ときにはバチバチと音をたてて燃える炎が、いわばその世間話の背景音のようなものになる。火は、家庭の健在をしめす象徴なのでもあった。
これとまったくおなじことが、西洋でも考えられる。7かつてマーガレット・ミードはフランス文化を論じて、フランス文化の基本になっているモチーフはFoyerであるといった。このフォアイエというのは、一家団欒を意味し、同時に火床を意味することばだ。8同一の火床ないしは暖炉を共有する家族の結合がかたいのである。
フランスだけではない。ヨーロッパやアメリカの住宅で中流以上といういささかゆとりのある家にはたいてい暖炉がある。9そして、こんにちでは、ちゃんと中央管理暖房がゆきとどいているにもかかわらず、ときどき暖炉に薪をくべて火の共有の事実を演出するのである。じっさい、イロリと暖炉はその機能においてきわめて類似している。
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