1今、日本の都会では、路上でものを売る人を見かけることがほとんどない。たまにあっても、ヒッピーのアクセサリーとかワゴン・セールとか、朝市とか、いかにも特別な売り方で、ただなんとなく道端に立ったりしゃがみこんだりして客を待つという売り手がいなくなった。
2順序から言うならば、常設の店ができる前は商売はみんな路上で行われていた。道は人や馬の行き来のためだけにあるのではなく、立ち話やものの売買や時には喧嘩のための公共スペースだった。家の裏の小さな畑で出来た豆や芋を町まで運んでいって道端で売る。3売れたら、そのお金で、家では作れない野菜や道具類や贅沢品を買って帰る。商売はこうして始まったのだ。
しかし、道で売っているものは時として信用できない。村の顔見知り同士ならともかく、大きな町で見知らぬ者からものを買うと、万一、それがインチキな品でも苦情を持ち込む先がない。4今でも訪問販売や通販の類にはこの種の問題がつきまとっている。
訪問と言えば、三十年前に見事な詐欺にあったことがある(どうもぼくは詐欺にひっかかりやすい性格らしい)。日曜日の昼ごろ、庭で草取りをしていると、威勢のいい魚屋風の男がやってきて、道から声を掛ける。5うなぎを買わんかと言うのだ。今と違って冷凍の蒲焼がいつでも手に入るわけではなく、うなぎはなかなか贅沢な食べ物だった。それが安い。たしかに安い。男は垣根越しに、なぜ安いかという理由を、特別のルートとか何とか、言葉巧みに話す。
6日曜だからどこの家でも父親がいる。一つ奮発しようということになって、家族の数だけうなぎを買う。それから御飯を炊く算段になる。この時差が大事だ(保温式の炊飯器はまだなかった)。買ってすぐに食べるものではこの話は成立しない。7一時間後、いよいよ白い御飯がどんぶりに盛られて、蒸して温めたうなぎが乗り、タレがかかってみんなの前に並ぶ。子供たちはわくわくして箸を取る。ところが、一口ほおばると、これがあなごなのだ。見た目はそっくりだが、味はだいぶ違う。8あなごはあなごでうまい魚だけれども、うなぎに化けてはいけない。もちろん男は二度と来なかっ
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