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 そもそも動物の記号は、語を組み合わせた文ではない。なるほど、「文」という概念がいねんを使って説明するなら、ミツバチの八の字飛行という記号は、「みつがここにある。」という文を省略した一語文であり、群れのはしにいる個体が発する天敵の警戒けいかい記号は「敵が接近中だ。」という一語文とみなすこともできる。しかし、動物のコミュニケーションで用いられる記号は、パーツを組み合わせて作られた文ではないし、また記号をさらに組み合わせて、新たな記号列が作られることもない。
 ところが人間の言語は、そうではない。なるほど、「テキ」という語は、敵を指示しはする。しかし、単に「テキ」と呟いつぶや ただけでは、いまだ確定した意味をもちえない。「いる/いない」、「来る/来ない」、「多い/少ない」という別の語(述語)と組み合わせられて文が形作られたとき、「テキ」という語は、初めて確定した意味をもつ。すなわち人間の言葉は、文というまとまりの中で、初めて確定的な意味をもつ。
 しかるに文というまとまりは、人間の言語においては、語を自由に組み合わせて、任意の文を作ることができる。その結果、実際には起きていないことを述べる文も、次々に作ることができる。いま一頭の小ぶりの天敵が近付いている、としよう。このとき、「テキ、いない。」、「テキ、多い。」、「テキ、大きい。」といった多くの文は、すべてとなる。これらの文は、目下の状況じょうきょうではである。しかし、私たちは、それらの文の意味を理解できる。それはほかでもない、それらの文が真となるような状況じょうきょうを考えることができるからである。このように私たち人間は、語を自由に組み合わせて、任意の文を作りうるがゆえに、実際には起きていないことについて考えることもできる。いや、考えざるをえないのである。「果実」という語と「木に生る」という語を組み合わせて、「果実が木に生る。」という文を作れば、これは、われわれの世界で真な文だが、「金」という語を組み合わせた「金が木に生る。」という文はである。しかし、「金が木に生る。」という文が意味をもつ限り、「金の生る木」という語も意味をもつ。
 このように、言語を用いた人間のコミュニケーションにあっては、言葉は、現にないものについてメッセージをつくるためにも用いられる。人間の言葉は、実際には存在しないものを、思考の対象として、言わば呼び出す、という意味で「非在の現前」である。人間の言語は、実際には存在しないものについての思考を可能に
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し、そうした思考の交換こうかんを可能にする。こうした言語によってコミュニケーションが進行することによって、人間の協業の仕方は、動物たちの協業とはまったく異なるあり方をしている。このことが、人間としての協業の根幹に、極めて固有の刻印を与えあた ている。

 (大庭健「いま、働くということ」による)
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