1生きることは学ぶことであり、学ぶことには喜びがある。生きることは、また何かを創造していくことであり、その創造には、学びの段階では味わえない、大きな喜びがある。2このことはどんな人の人生にもあてはまるが、特に学問の世界では銘記すべき事柄であろう。
言葉をかえて表現しよう。学問の世界においては学ぶこと、創造することの喜びはとりもなおさず、考えることの喜びだと思う。3どんな分野の学問でも何か新しいものを発見し、創っていくことに本来の意義がある。「発見」と「創造」にこそ、意味がある。単なる知識の受け売りは学問とはいえないし評価に値することもない。4さまざまな知識は考えるための資料であり、読書は考えるためのきっかけを提供してくれるものである。
そう思えば、知識を集めることも案外楽しいことだし、読書も苦にならない。耳で聴き、体で感じ、目で読んで考える。5考えたあとでは聴いたこと読んだことは忘れ去ってもよいわけだ。覚えていなければならない、忘れてはならないと思うと、学問する前に疲れてしまい、学ぶこと自体が億劫になってしまう。6本来、学問はそんなに難しいことではなく、考えることの好きな人間なら誰でも学問することができるし、その喜びを味わうことができるものである。
それにしても、そもそも創造を生み出す力はどこからやってくるのか。7創造性の背景にある重要な条件とは何なのか。
まず、こんな言葉がある。フランスの有名な数学者ポアンカレがいった、「創造とは、マッシュルームのようなものだ」という言葉である。
マッシュルームは、キノコの一種である。8キノコというと、日本人の私はすぐに松茸を連想してしまうのだが、すなわち、その松茸のようなものが創造だ、とポアンカレはいうのだ。
松茸は、周知のように地表下に菌根と呼ばれる根をもっている。9この根は、きわめていい条件が与えられると次第に円形に広がりながら発達していく。ところが、この好条件がいつまでも続くと、根だけが発達してキノコをつくらずに、ついには老化して死んでしまうのである。0植物に詳しい知人の話によると、実に五百年にわたって根だけが発達し、枯死した松茸があるらしい。
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